2011年09月02日

文明は、勃興し、堕落し、死滅する

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文明は、勃興し、堕落し、死滅する。時間というものは、古代ギリシャ人達が論じていた通り、個人にとっても、国家にとっても、循環的だ。社会がより複雑になると、社会は必然的に一層不安定となる。社会は益々脆弱になる。そして、社会が崩壊し始めると、おびえて、混乱した国民は、現実から奇妙な逃避をして、自明の脆弱さや、迫り来る崩壊を認めることができなくなってしまう。終末時のエリートは、現実とは関連のない言葉や専門用語で話すようになる。

彼等は、ベルサイユや、紫禁城の宮殿なり、あるいは現代の宮殿のような私有地なり、隔離された屋敷に逃避する。エリートは、歯止めの利かない快楽主義や膨大な富の蓄積と浪費にふけるのだ。益々激化する獰猛さで、抑圧されている大衆の苦悩などに、連中は耳を貸さない。資源は一層容赦なく、枯渇するまで使い尽くされる。そして、最後に、空洞化した殿堂が崩壊する。ローマ帝国もシュメール帝国もこうして滅びた。マヤのエリート達は、森林を伐採し、川を沈泥や酸で汚染した後、未開状態に後退し、逃避した。

食糧と水の不足が世界中に広がり、中東、アフリカ、ヨーロッパで、悪化する貧困と窮状が街頭抗議デモをひき起こす中、エリートはあらゆるエリートが行うことを実行している。連中はさらなる戦争をしかけ、自分たちの為により巨大なモニュメントを建造し、自国民をどっぷり借金漬けにし、こうしたすべてが崩壊する中、連中は労働者と貧乏人に背負わせ、八つ当たりするのだ。40兆ドルという膨大な富を消滅させた、世界経済の崩壊は、アメリカのエリート達が、アメリカの製造基盤を破壊し、莫大な量の詐欺的な不動産担保証券を、年金基金、個人投資家、銀行、大学、国や外国政府や株主に売りつけた後でひき起こされた。

エリート連中は、彼等の損失補填の為に、投機を再開しようとして、国庫を略奪した。連中はまた、緊縮財政という名目で、基本的な社会福祉を取り壊し始め、労働組合最後の痕跡も破壊に着手し、仕事の口を大幅に削減し、賃金を凍結し、何百万人もの人々を家から追い出し、失業者やパート雇用者という永久底辺層を生み出しながら拱手傍観している。

最後には、マヤのエリートは、人類学者のロナルド・ライトが“A Short History of Progress(「進歩小史」)”で書いているように“… 過激派や超保守派となり、自然と人類から、利益の最後の一滴を搾り取った。”我々自身の文明を含め、全ての文明は、このようにして、硬化し、死ぬのだ。差し迫った死の印は否定すべくもなさそうだ。常識が、新たな根本的対応を強く要求しても良いはずだ。

しかし、自滅へと向かう競争は、知的、道徳的麻痺のおかげで、加速するばかり。ジークムント・フロイトが、“快楽原則の彼岸”や“文明への不満”で洞察した通り、人間社会は、性的満足の探求に夢中になり、目がくらんだまま、死と破壊へとまっしぐらだ。

中東での騒乱、アイルランドやギリシャ等の国々における国家経済の内部崩壊、アメリカ国内で、つのりつつある怒り、困窮する国外の労働者階級、必死の移住が増加していること、生命がそれに依存している生態系を、容赦ない破壊を人間が止めようとしないこと等は、アメリカ自体の崩壊と、アメリカのエリートの馬鹿さ加減と、グローバリゼーションの愚かさによる結果の兆しだ。

不可避の事態を、未然に防げるのは、帝国と法人国家の迅速な廃絶を含む、アメリカ社会の完全な再構築を中心に築かれた抗議活動しかない。より良い条件を求めて交渉するのではなく、アメリカの腐敗したエリートを権力の座から排除することを目指す、新たな、何者をも恐れない根本的変革主義の誕生によってのみ、我々は救われるだろう。

グローバル経済は、人間の強欲さを見抜ける市場が、人々の行動を決定すべきであり、経済は永遠に拡大が可能なのだという、誤った信念の上に構築されている。膨大な二酸化炭素を放出しても、深刻な影響をひき起こすことなしに、生態系をボロボロにし続けることが可能だという想定の下でこそ、グローバリズムは機能する。

そして、グローバルな経済拡大のエンジンは、豊富で安い石油が常に存在するという保証に基づいている。人間の本性や自然界に関する単純な真実に直面することができないエリートが、新たな社会的、経済的、政治的パラダイムをまとめることなど不可能だ。彼等は、死につつあるシステムを永続させようとつとめているに過ぎない。

グローバリゼーションというのは、金儲けの為に、国民を奴隷に、自然界を荒廃地に変える為に、過去のエリート達が使ってきた、古代イデオロギーの現代版表現なのだ。こうしたエリート連中にとって、神聖なものなど皆無なのだ。人類も自然界も、枯渇するか、崩壊するまで搾取されるのだ。エリートは、公益を守ろうという素振りさえ見せない。グローバリゼーションというのは、要するに、理性的思考の敗北であり、人道主義の死だ。

自滅に向かう行進は、既に海洋の大型魚類の90パーセントを滅ぼし、地球の肺ともいうべき、成長した熱帯林の半分を壊滅させた。この勢いで行くと、2030年までには、地球の熱帯林は、わずか10パーセントしか残らない。汚染した水によって、地球上で、毎日25,000人が亡くなり、栄養不良によって、毎年約2000万人の子供が健康を損なっている。空気中の二酸化炭素は、現在、350 ppmを越えており、大半の気候学者は、これは我々が知っている生命を維持するための最大レベルだと警告している。

[編者注: 上記の文章は、記事がここに初めて発表された後、改訂されている。] 気候変動に関する政府間パネルは、2100年までに、測定値が、541から970 ppmにまで至る可能性があると推測している。現時点で、地球の膨大な部分が、人口過剰、干ばつ、土壌の浸食、異常な暴風、穀物の大凶作や、海面上昇に悩まされており、人類の生存には適さなくなるだろう。

ジャレド・ダイアモンドは、エッセイ“最後のアメリカ人”で、エルナンド・コルテスが、ユカタン半島に到着した頃には、数百万人のマヤ臣民が消滅していたと書いている。

“一体なぜか”ダイアモンドは書いている“王侯貴族は、こうした問題に気がつかず、解決しなかったのだろうか? 一つの主要な理由は、自分たちが金持ちになること、戦争をしかけること、モニュメントの建造、お互いの競い合い、そして、こうした活動支える為、農民から充分な食糧を取り立てること、といった短期的な関心事に彼等の注意が明らかに集中していたことだ。”

“石油を汲み出し、木を切り倒し、魚を捕ることは、それで金や権威が得られるエリートにとっては利益になっても、長期的には、(エリートの師弟を含めた) 社会全体にとっては良くないのだ”ダイアモンドは更に続ける。“マヤの王達は、庶民や次世代の幸福よりも、自分達の権威(より多くのより巨大な寺院が必要だ)やら、次の戦争での勝利(より多数の支持者が必要だ)といった、目先の関心に夢中だった。

現在、我々の社会において、政治判断上で最大の権力を持った連中は、通常、社会全体にとっても、彼等自身の子供達にとっても良くない可能性がある行為を通して金を儲けている。こうした政策決定者の中には、エンロン社幹部、多数の地開発業者や、金持ち減税論賛成論者が含まれる。”

イースター島も全く同じだった。五世紀、166平方キロの島に初めて住民達が定住した際には、豊富な淡水と樫の大きさにまで成長するチリ・ヤシが生い茂る森林があった。魚、アザラシ、イルカやカメなどの水産物や、巣をつくる海鳥も豊富だった。貴族、僧侶と庶民という精巧なカースト制度でわかれていた、イースター島の社会は、5あるいは6世紀の間に人口は約10,000人に膨れ上がった。天然資源はむさぼり尽くされ、消滅し始めた。

“作物栽培のための森林伐採によって、人口は増大することになったものの、土壌浸食と、肥沃度の低下を招いた”と、ポール・バーンと、ジョン・フレンリーが“イースター島、地球島”の中で書いている。“次第により広大な土地を切り開かねばならなくなった。高木も低木も、カヌー造り、薪、家造りや、像の運搬と建立に必要な材木とロープ用に切り倒されることになった。ヤシ果実は食糧にされ、ヤシ再生は低減した。食料として持ち込まれたネズミも、ヤシ果実を餌に、急速に繁殖し、ヤシの再生を完全に妨げた。

豊富な海鳥資源の乱獲により、沖合の小島を除き、海鳥資源は完全な絶滅に至ったろう。卵を食べることによって、ネズミがこの過程を助長した可能性もある。漁業、海鳥やネズミによって実現された豊富な食糧が、最初の急速な人口増大を促進した。無制限な人口増大によって、後に土地取得への圧力が高まり、紛争を、そして最終的には戦争を招いた。材木とロープがもはや得られなくなると、それ以上の像を彫刻するのは無意味となった。

住民達の要求に応えてくれるはずの巨像信仰の効能に対する幻滅によって、この狂信的な宗教を放棄するに至った可能性もある。不十分なカヌーのため、漁業は沿岸と岸辺の海に限定され、タンパク質の供給は更に乏しくなった。その結果として、大飢饉、戦争や、経済全体の崩壊、著しい人口減少となったのだろう。”

イースター島文明の後期には、各部族は益々巨大な切り出した石像を建立して、先祖を讃える為に競争したが、それは島の材木、ロープや人的資源の最後の残りを必要とするものだった。1400年までに森は消失した。土壌は浸食され、海へと流された。島民達は古い材木を巡って争いはじめ、飼い犬を、そして間もなく、巣を作る鳥を、全て食い尽くすまでに落ちぶれた。

自暴自棄になった島民達は、建立した石の神々モアイには生命がやどり、自分たちを災厄から救ってくれるのだという信仰体系を作り上げた。こうした呪術への最後の逃避は、最終局面に陥ったあらゆる社会の特徴だ。これは、制御不能と絶望と無力さに対する、死に物狂いの反応なのだ。

こうした呪術への絶望的な逃避から、チェロキー族の亡霊の踊り、ペルーでの、スペイン人侵略者に対する、絶望的なタキ・オンコイの反乱や、1530年代のアステカ族の予言がもたらされた。文明は、最期の瞬間には、受け入れるには余りに暗くなってしまった現実を前にして、現実からの完全な断絶を信奉する。

聖書には書かれていない携挙、つまり、この世の終わりに、キリストが天から再臨する際、キリスト教徒は不死の体となり、裸で天へと浮揚しキリストに会うという福音派キリスト教徒による信仰は、地球温暖化や、進化論を否定することを可能にする、正しい人々は全員救われるという不条理な考え方同様に、空想的だ。道徳的に中立で、人類の熱望に役立つ科学技術が、世界を丸ごと造りなおしてくれるのだという信念も、同様に妄想的だ。世俗面でも、宗教においても、こうした呪術思考に我々は祈りをささげている。

我々は、過去の欠点から何とかまぬかれているだろうと考えている。我々は、先人たちよりもより賢明で、偉大だと確信している。我々は必ずや救済されるのだと、我々は素朴にも信じている。特に、事態が悪化する中で、こうした偽りの希望を提供する連中は、我々からの、お世辞や称賛を享受する。アメリカ合州国に暮らす、世界人口のわずか5パーセントの我々が、世界のエネルギーの25パーセントを浪費する消費水準を維持するという権利など神から授かってはいないのだと、もしも誰かが言おうとすれば、アメリカ人は激怒する。

そのような消費は恐らく良くないことだろうと、ジミー・カーター大統領が提言した所、彼は全国的なあざけりの的になった。事態が悪化すればするほど、人は架空の明るい話を一層欲しがるのだ。空想やら自己欺まんを提供するのが商売の連中は、連中が私たち国民を、政治的に従順することができるゆえに、大企業や寡頭政治勢力から潤沢な資金援助を得て、勢いづいている。そして、最後には、その多くが共和党大統領指名を受けようと行列しているかに見える愚か者や精神錯乱者連中によって、我々は崖から嬉々として飛び下りさせられるだろう。

“ちっぽけな孤島における300年前の出来事が、世界全体に対して、何らかの意義があるのだろうか?”バーンとフレンリーは問うている。“我々は、あると考えている。イースター島は、地球全体のモデルとなる小宇宙だったと我々は考えている。地球同様、イースター島は、孤立したシステムだった。島の住民は、他の全ての土地は海面下に沈んでしまっていて、自分たちが地球上で唯一の生存者だと信じていたのだ。

無制限の人口増加、資源の浪費、環境破壊と、将来面倒を見てくれるはずだという自分達の宗教への限りない確信を許容するという実験を、私達の為に彼等が行ってくれたのだ。その結果、生態学的災害から、集団的消滅に至ったのだ。... この実験を大規模で繰り返す必要があるだろうか? 我々は、ヘンリー・フォードの様にひねくれて、‘歴史などたわごとだ’と言うしかないのだろうか? イースター島史の教訓に学び、その教訓を我々が暮らす地球島に適用する方がより賢明ではなかろうか?”

こうした搾取と崩壊のサイクルを繰り返すべく、人類はのろわれているもののようだ。そして、荒廃の程度がひどくなればなるほど、周囲で一体何が起きているのかを、益々理解できなくなってゆくのだ。

人間の愚行と、人間の傲慢さの産物が、地球上に散乱する。この瞬間が、およそ5,000年前に始まった定住文明生活という、この惨めなだしもの自体の大団円のように見えるのだが、生物の種として、我々は、我々自身も、社会も、絶滅に向かって、駆り立てるよう運命づけられているもののようだ。地球上には、もはや奪うべきものは何も残されていない。森林、化石燃料、空気や水を含む、自然資本の、最後の残物を、我々は今食いつぶしている。

今度我々が滅亡する際は、地球規模になるだろう。略奪できる新たな土地はもはや存在せず、搾取すべき新たな人々も存在しない。時間と空間の制限を消しさった技術が、この地球村を地球規模の死を招く落とし穴へと変えたのだ。イースター島の運命は、地球という巨大な規模で示されることになろう。

情報源は
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-286f.html

posted by 究明 at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | その他・日記・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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