2011年06月04日

遺伝子組み換え食物日本侵入

先日、農業をしている友人に遺伝子組み換え食物が日本に入ろうとしていることを心配して電話しました。最後には面倒くさそうに「そんなことは農業をしている我々に任せろ」みたいなことを言うので、それ以上言うのは止めましたが、結局農業従事者のほうがその深刻さを理解していないと思いました。

苗木を買おうと思ったJAでは、そのすべての野菜がF1(エフワンーつまり、翌年その野菜の種で作っても野菜はできないか、あるいは不味い)これは完全に食料支配です。

しかし、農家の人はそれが便利だとか言って、まったくその恐ろしさに気づかない。私一人で店の中で憤慨していたのですが、「いや、あなたにじゃない、アメリカにです」と言っても、ポカーン!

今日はその話題です。気になる部分だけ抜き書きしました。ぜひ、サイトに行って読んでください。

情報源はhttp://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-594.html

「日本の畑でもモンサントの自殺種子で栽培させろ」

「自殺するF1種子」と猛毒の農薬のセットで、世界中の食料をコントロールしようとしている多国籍アグリビジネスの巨人、モンサントですが、日本の政府にもモンサント種子の畑(ほ場)での栽培と食用・資料用への使用を許可しろ、と要請があったようです。

モンサント社の要請を受け入れるべきか、農水省が以下について、一般国民からパブリック・コメントを募集しています。ただし、期限は6月21日まで。

http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/nouan/110523.html


簡単に言うと、モンサント社の一代限りの種を使って、日本の農場でも栽培させろ、というモンサント社の要望です。

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モンサント社はベトナム戦争の時に米軍のB52爆撃機からジャングルに撒かれた枯葉剤を開発した化学会社で、この枯葉剤の中にはダイオキシンが含まれていたことから、ベトナムでの悲劇が表面化してきたわけです。グリホサート、別名ラウンドアップという強力な除草剤も、枯葉剤の研究から生まれたものだといわれているのです。


すでに、日本には多くの遺伝子組み換え食品が入ってきていますが、今回の政府への要望は、遺伝子組み換え技術で作った食用農産物とともに、日本の農地でも自殺種子とグリホサートを使わせて栽培させろ、というものなのです。


これを受け入れてしまうと、ゆくゆくは日本の農家は壊滅的な被害を蒙り、次々とモンサントの奴隷となって危険な農産物を作り続けなければならなくなるのです。日本の農地が日本のものでなくなってしまうのです。その点が、今までの遺伝子組み換え食品の規単なる制緩和云々の話と、根本的に違うところです。

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「学識経験者からは、生物多様性への影響がある可能性はないとの意見を得ました」と書かれているのですが、どんな学者なのか、どんな手順で生物多様性に影響しないと判断したのかが分かりやすく書かれていません。農水省、環境省、そして御用学者による「出来レース」の匂いがぷんぶんです。

今回の原発事故で、誰でもはっきり分かったことは、「原発安全神話」を国民の間に浸透させてきたのは国から多額の研究費を割り当てられただけでなく、東電などの電力会社からもさまざまな余禄を受けてきた「悪魔に魂を売り渡した汚れた学者」、いわゆる御用学者たちでした。 

それを影で操りながら自分たちには火の粉が降りかからないようにしているのは経済産業省(旧通産省)。こうした構図が、遺伝子組み換え(GM)企業と農水省・環境省、御用学者のトライアングルで形作られつつあるのかもしれません。

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今、種苗会社の世界で恐ろしいことが起きていて、GM(遺伝子組み換え)開発会社が世界各地の種苗会社を傘下に入れつつあります。

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ではなぜ、モンサント社が常に槍玉に挙げられるのかというと、本来、自然の神が人類に平等に与えているはずの自家採種の権利を暴力的な手段で取り上げて、世界中の食料を牛耳った挙句、私たちの遺伝子まで危機に晒そうとしているからです。

この背景には原発の闇と同様、とてつもなく恐ろしいものが横たわっており、ほとんどの人たちは、それに気がついていません。官僚でさえ気がついていない人が多いでしょう。

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私たちはこの件について堂々と意見を述べるべきであると思います。
パブリック・コメントの締め切りは6月21日です。
封書で送る場合は、21日必着、インターネット、FAXなどは当日までに送信すればいい、ということになります。

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DSC00953.JPG

食品として売っていた大豆を撒いたら、芽が出てきました。遺伝子組み換えではないと思いますが、、、
posted by 究明 at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 農業・農薬・肥料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月07日

最高裁判事も天下り

福島原発のその後も、蔓延している放射能の問題も、これから来るであろう地震の問題も、、、、大きな問題がいろいろあるにも関わらず、大変な状況が3ヶ月も続いたので、何だか中だるみのような感じがします。重要な問題も問題でないような錯覚にも襲われます。新たな情報をと思う私も少々疲れ気味です。しかし、逆にこういうときにドカーンときそうで、昨夜はなかなか寝ることができませんでしたが、さて今日は判事の天下り。

「原発は安全」判決下した最高裁判事も、原発企業・東芝に天下り My News Japan 5/27より

四国電力伊方原発と東電福島第二原発の建設許可取り消しを求めた2つの裁判で、原発の安全性にお墨つきを与える判決を下した最高裁判事が、米国GE社と提携する原発メーカー「東芝」の役員に天下っていたことがわかった。判決があったのはチェルノブイリ原発事故から6年後の1992年のことで、脱原発の声を封じて原発ラッシュの流れをつくる一大転機となった。裁判官と原発産業の生臭い関係に、原発の危険を訴えてきた地元住民は絶句する。「司法よ、お前もか――」

詳しくは以下へ http://hanbey8.jugem.jp/

裁判所と原発関係の癒着はこれだけだとは思えませんが、、、




posted by 究明 at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 裁判所・検察・警察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月10日

福島原発 50 ニューヨークタイムス


情報源は http://gendai.ismedia.jp/articles/-/7514

ニューヨークタイムズ

「原発依存を助長する日本の文化」

<鹿島発>島根原発が40年以上前にこの地に計画されたとき、この田舎の港町は激しく抵抗し、原発を経営する予定であった中国電力は、ほとんどその事業計画を廃棄するところだった。怒った漁民は、何世代にもわたって魚と海藻を漁獲してきた場所を守ると誓った。

 20年後、中国電力が三番目の原子炉の設置、拡張を検討したとき、鹿島は再び素早い行動に出た。今度は賛成で結集したのだ。地元の漁協に促され、町議会は賛成15、反対2で、40億ドル(3千200億円)の原子炉を建設するよう公にアピールを出すことにした。

 鹿島町のような逆転は日本ではよく起こる話で、これは、現在までの日本の揺るぎない原子力の追求と、54の原子炉がある周辺の町に広範な草の根反対運動が存在しないことの説明に役立つ。3月11日、地震と津波が福島第一原子力発電所で原子力危機を生んだあとにもこれは当てはまる。この地震が起こりやすい国が、いったい原発の安全を十分に担保しているのかという深刻な質問を、この危機は提起したが、今までのところ、この危機的状況は、小さな反応しか生みだしてはいないのだ。

 菅直人首相は少なくとも一時的に、日本の原子力利用をこれ以上拡大する計画を見送った。その計画とは国の有力な原子力支配者集団によって推進されてきたものである。鹿島町は原子力に賛成の立場で激しく闘うことをいとわないように見える。安全性に関する懸念にもかかわらず、多くの住民は公にそれを口にはしない。

 鹿島町の転換を理解するには、近くの鹿島スポーツ公園をみればすむ。大部分はお年寄りの7千500人の住民のために、ここには野球場、照明付きテニス場、サッカー場があり、3千500万ドル(28億円)の体育館は、屋内プール、オリンピックサイズのバレーボール競技場付きである。体育館は、今も建設中の第3原子炉を引き受けたことで町が受け取る数百億円で支払われるいくつかの巨大公共事業の一つにすぎない。

 鹿島町の話が暗示するように、日本政府は、本質的に、地域からの支持や少なくとも黙認を、手厚い交付金や保証金や仕事をばらまくことで買うことができた。経済産業省によると、2009年度だけで東京は11億5千万ドル(9兆2千億円)を発電所を持つ地域の公共事業に投じた。専門家によるとその金の大部分は原子力発電所の近くの町や村に流れる。

 そしてそれは氷山の一角にすぎない。大量の交付金、資産税、所得税からの収入、個人補償、原発企業から来ると広く信じられている地元の金庫への”匿名”の寄付すらある、と専門家は言う。

疑問の余地なくそれらの援助は、仕事と人とを急速に都会に奪われてきた地方の町や村を富ませてきた。石油や石炭の充分な蓄積がない日本は、その経済的仕組みを運転するために必要なエネルギー減を原子力に頼る。しかし批判する人は、それら多額の贈与が、同時に地域を中央政府の歳出に依存させ、結果的に地域は、原発に頑丈な危険防止装置を迫ることで波風を立てることをあえてしなくなった、と主張する。

 批判者が麻薬中毒になぞらえてきた過程で、楽に儲かる金と、より高賃金の仕事の流れは急速に地域本来の経済基盤である農業や漁業に取って替わる。

 原発のような公共事業に代わる選択肢も原発計画者は提供することをしなかった。金を使う蛇口を開けっぱなしにしておくことが、新たに上昇した生活水準を維持する唯一の方法となった。

 専門家と一部の住民は、この依存こそが、広島と長崎の遺産とスリーマイルやチェルノブイリの原発事故にもかかわらず、なぜ日本がアメリカやヨーロッパにみられるような水準での原発への大衆的な反対には直面せず、またなぜ今後、新たな原発の建設を止めることなど、米国よりもっとありそうにもないことなのかを説明するのに役立つと言う。町は、政治家、官僚、裁判官、原子力産業経営者といった同一のサークルの網の目に絡めとられ、彼らは休むことなく、安全への関心を凌駕して、原子力の拡大を売り込む。

「この依存の構造が、町や村の人々に施設や原子力に反対する発言をできなくさせているのです」と福島大学で地方財政論を教える清水修二教授は言う。

沈黙の作法

 本当に、沈黙の作法は今もなお、5年前に松江市と合併した鹿島町に広く行き渡っているようだ。

 安達常吉は、63歳の漁師だが、鹿島原発第二原子炉に反対する、1970年代、80年代の大規模な抗議行動に加わっていた。彼によると、1974年から稼働した施設の第1原子炉から出る塩素が、地元の漁業海域の海藻と魚を殺していたからで、その頃は多くの漁師が憤りを感じていた。

 しかし安達によると、第2原子炉の補償金が流れこみ始めると、近所は彼を冷たくみるようになり、ついには無視したという。1990年代の初期、第3原子炉が提案される頃には、安達を含め誰一人、プラントにあえて反対する声をあげる者はいなくなった。福島原発事故のあとでも、島根原発から数マイルの距離に住む彼らの多くには恐怖であったが、やはり仲間からの圧力を感じたという。

「もちろん、われわれ心の中では同じ災難が島根でも起こるのじゃないか、と皆心配しています」と安達氏は言う。しかし、「町は、原発なしにはもう経済的にやっていけないと知っているのです」

 公然と口に出す人はほとんどいないが、多くの住民もまた、自分たちの町が、かつては活気があった漁業をどうしてやめてしまったのか、と密かに気遣う。彼らはまた、スポーツ公園のような一時的には華やかなプロジェクトが長続きする経済的な利益をほとんどもたらさなかったとも言う。第3原子炉だけでいっても、町には9千万ドル(72億円)の公共事業費が落ち、もし原子炉が来年から稼働すれば、その後15年間以上にわたって、6億9000万ドル(552億円)の財産税が別枠で流れる約束だ。

 1990年代第2原子炉からの財産税は町の税収の4分の3を占めた。その収入がいずれ減少するという事実が、第3原子炉追求にを押しやった一つの要因だった、と当時の町長、青山善太郎氏が言う。

 青山氏は、福島原発事故がここ鹿島の住民をゾッとさせたことを認めた。それはそうでも、と彼は言う。島根原発を引き受けたことを住民は後悔していない。そのせいで生活水準も上がったし、日本の多くの地方を空洞化させている人口流出が起こることも食い止めた。

「原発がなければどうなったと思う?」と73歳の青山氏は言う。町は、1960年代後期から始まった第1原子炉からの最初の補償費を屋内水道設備のために使ったのだ、と言う。

 原発はその電力の大部分を遠くの都市地区に供給するのに対し、原発自体は、隔絶した貧しい地方に設けられている。

 中村一良氏(84歳)は、鹿島町の中の日本海の荒海に面する小さな漁村、片句での子供時代の生活が、どれほどつらいものだったかを思い出す。父親は小型平底船にのってイカやタイを釣り、母親がそれを背に、わらじ履きで細い山道をたどり市場まで運ぶ。

 それでもはじめは、漁民は原発に近い漁場の海藻や魚を取る権利を捨てることを、かたくなに拒否した、と中村氏は言う。当時彼は片句漁協の組合長であった。結局、彼らは補償費を受け取り、それは漁師一人あたり60万ドル(4千800万円)に達した。

「最後は金に屈したのさ」と中村氏が言う。

 床は土間の小屋が、今ではドライブウエイ(車用私道)付きの特大の家に代わり、トンネルを通過すれば、鹿島町の市街まで車で5分だ。しかし新しい富は、300戸足らずのこの小村を見えない形で変えてしまった。漁を続けているのはおよそ30人の老人たちだけ。残りの大部分は発電所に通い、安全保安員か清掃員として働く。

「金が簡単に手に入って、もう働く必要もなくなったのです」と、反原発の政治綱領で町長選に出て2度敗れた町議会議員が言う。

現金の流れ

 現金の流れの大部分は、政府交付金の洗練された制度である電源三法の所産で、これは日本の原発環境を形作り、公共事業を戦後もっとも手強い政治派閥形成に利用した、当時の権力者田中角栄首相が、1974年につくった法律だ。

電源三法は、日本人のすべての電力消費者に、ガス電気水道料金の一部として、原発を立地する町や村に流しこむ税金を支払うことを命じた。原子力産業を規制し交付金を監督する経済産業省の官僚は、これら交付金に地元がどれほど依存するようになったかの詳しい説明を拒否した。

「地元が原発を受け入れるよう促進する金です」と、経済産業省資源エネルギー庁の中野辰実氏は言う。東通(ひがしどうり)原発を有する東北電力の広報担当は、当社は交付金には関係しておらず、福島以降、原発の安全性について住民を安心させることに活動の焦点を合わせている、と言う。

 政治専門家は、交付金が原発の受け入れを促すだけでなく、時がたつにつれてその拡大をも促す、と言う。交付金は、設備や原子炉が稼働し始めるとすぐに最大年額を過ぎ、減少していくように設計されている。

「多くの場合、人口減少で税を課せる人口が少ない町は、喉から手が出るほど金がほしくなってきます」と、電源三法を研究したパーデュー大学の政治学者ダニエル・アルドリッチが言う。

 原子炉の寿命と共に交付金が減り続けると、自治体は新しい原子炉建設を受け入れる圧力にさらされる。アルドリッチが言う。「地元自治体は最初の原子炉から得た金の使いっぷりに馴染み、そして2番目、3番目、4番目、5番目の原子炉が同じ金の使い方を続けさせるのです」

福島大学の清水教授によると、福島第1原発と近くにある福島第2原発は、直接間接に1万1千人の人々を双葉町を含む自治体で雇用した〔PHOTO〕gettyimages 評論家は福島第1原発の5号機と6号機がある双葉町のケースを指摘する。それぞれ稼働したのは1978年と1979年である

 福島大学の清水教授によると、福島第1原発と近くにある福島第2原発は、直接間接に1万1千人の人々を双葉町を含む自治体で雇用した。これは2世帯にからおよそ一人の割合になる。1974年以降、福島県の自治体は、発電所に33億ドル(2640億円)の交付金を受けていて、その大部分が二基の原発施設向けである、と清水教授は言う。

 主に1970年代に受け取った、これらの巨大な交付金にもかかわらず、双葉町は最近予算問題に悩み始めた。鹿島同様、原発関連の財産税などの他の収入といっしょに交付金が漸減した。2007年までに双葉町は、日本でももっとも財政的に問題を抱える町の一つとなり、ほとんど破産状態となった。町の職員は、景気のいい交付金で建てられた公共施設の維持コストと気前のいい交付金がいつまでも続くと信じた貧弱な経営を非難した。

 1988年から2006年まで福島県知事をつとめ、原子力産業の批判者となった佐藤栄左久氏によると、最初の原子炉が稼働して30年目の今、双葉町は町長の俸給すら支払えないのだ、という。

「原子炉を一基もって一世代か30年たつと、もはや存続できない自治体になることが可能です」と佐藤氏は言う。

双葉町の財政危機の解決法は、日本政府と東電と福島第1の経営者に、新たに原発2基の建設を頼むことであった。その結果、福島第1の原発は合計8基となった。その要請で双葉町は直ちに新たな交付金を得ることになった。

「『麻薬』という表現がいいかどうかはともかく」と、佐藤氏が言う。「一回やったらもう絶対に2回目がほしくなるんです」

 鹿島町長選に敗れた中村英治氏は、町が交付金のとぎれない流れに頼るのは、経済的理由からであると同時に政治的理由からでもあると言う。氏によると県と町のリーダーたちは、公共事業の仕事と金を、建設産業や漁協といった主要な投票ブロックからの支持を確保するために使っているのだと言う。それらのブロックに町の三分の一の労働者が含まれている。 

「みんなは原子力婦プラントというが、実際には政治力プラントと呼ばれるべきさ」と、中村氏は冗談を言った。

最大の損害を受けるのは

 この依存こそが、管首相による日本の原発推進をスローダウンさせるという発言が、本州北部の孤立した地域である下北半島ほどに、なぜ他の場所では憂慮されなかったの理由である。

 下北半島の最初の原子炉が稼働したのは2005年で2基が建設中だ。さらにもう2基が計画中である。日本はまた大規模な核廃棄物の再処理工場をそこに建設中でもある。原子力への新規参入者として、下北の受け入れる側の自治体は、今一番失うものが大きい。

 東通(ひがしどうり)では、原発1基がすでに稼働し、3基がここ10年のうちに稼働予定である。この4基への交付金と他の収入で、東通村の職員は20年前に完全に新しい村役場の建築を開始した。

 急速に減っていく7300人の人口のために、村役場には今や、めったに使われない三角形---角張ったのと丸いのと---の形をした三つの巨大ビルがそびえていて、東京のデザイナーによれば、これは男と女と子供を象徴しているのだそうである。

 近くには600人の小中学生のための乱雑に広がったキャンパスがあって、そこには二本のラニング・トラックと二つの大きな体育館、八つのテニスコート、屋内野球場がある。2010年度、村の9千400万ドル(75億2千万円)の予算の46%が、原発関連の交付金と財産税からである。

 東通村の原子力対策担当の職員、笹竹重則氏は、福島であらわになった危機に関わらず、日本政府と原発経営者がもう3基、原発を建設する約束をゆるがせにしないことを、東通は希望すると言った。

「リスクがあるからこそ東京に原子炉はつくれない。しかし、こういう田舎だからこそです」と笹竹氏は語った。東通村の職員には、このような壮大な建築計画をすすめることに後悔の念は全くない、ともいう。

 しかし、東通のビル建設の馬鹿騒ぎは、半島のもう一つの町、人口6300人の大間の人々の眉をつり上げた。そこにある2014年稼働予定の最初の原発の建設は、福島災害ののち停止させられている。

 大間に原発をもってくるに際して決定的な役割を果たした前町長の浅見恒吉氏は、無用のビルという幻想で将来の財政問題を引き起こしたくはない、と言う。今までのところ、大間は原発交付金で新しく町役場の建設することには抵抗し、代わりに教育施設と漁業施設それと老人用の家を建てる予定だ。

「普通の人や町会議員は、ほかのどこの原発自治体を見てもたった1基で原発は終わっているところはない。いつでも2基目3基目がある。だったらもっと使っていいじゃないかと言う。しかし俺は違う、と言うんだ」と浅見氏は言う。

 しかし大間にもやはり、福島の大災害が無期限にプラント建設を遅らせるのでは、という心配がある。それはまさに、原子力を拡大するために日本がつくってきた交付金と依存のシステムが、いかに国家が反転コースを取ることを難しくしているのかという最近の事例である。

「我々には絶対必要なんだ」大間商工会の松山義文会長は、原発についてそう言う。「原発以外にここに金を持ってこれるものはない。それは間違いない。原発を引き受ける以外、こんな孤立した町にいったい何ができると言うんだ?」

(マーティン・ファックラー、大西哲光、翻訳:Office Matsumura)



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2011年06月16日

原発停止求め全国弁護団結成へ

情報源は http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110615-00000691-yom-soci

原発停止求め全国弁護団結成へ、秋にも一斉提訴

読売新聞 6月15日(水)15時11分配信

 東京電力福島第一原発事故を受け、国や電力会社に原発の運転停止を求める全国弁護団が7月に結成されることが15日、分かった。弁護団は今秋にも、地元住民を原告とした訴訟を各地の地裁に一斉に起こす。原発の安全性を巡り、全国的な弁護団が結成されるのは初めて。関係者によると、原発関連訴訟を手掛けた経験のある弁護士ら約40人が弁護団に参加する意向を示しているという。

 原発を巡っては、これまで周辺住民が国に設置許可の取り消しなどを求める訴訟を起こしてきたが、原告側の勝訴が確定したケースはない。2003年に名古屋高裁金沢支部で旧核燃料サイクル開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」の原子炉設置許可処分を無効とする判決や、06年に金沢地裁で北陸電力志賀原発2号機の運転差し止めを命じる判決が出たが、いずれも最終的には原告側が敗訴している。

posted by 究明 at 20:16| Comment(0) | 原発・原爆・放射能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月22日

松本市長 菅谷昭氏 2011/3/22 定例記者会見 内部被爆に関するコメント




菅谷昭

昭和18年 11月22日、長野県更埴市(現千曲市)で生まれる
昭和43年 信州大学医学部卒業
聖路加国際病院にて研修
昭和46年 信州大学医学部第二外科学教室入局
昭和51年 トロント大学(カナダ)留学(甲状腺疾患の基礎研究)
平成5年 信州大学医学部第二外科助教授昇任
(平成3年より)松本市のNGOグループによるチェルノブイリ原発事故の医療支援活動に参加、汚染地域における小児甲状腺検診をはじめとして現地にて支援活動を継続
平成8年 ベラルーシ共和国に渡り、首都ミンスクの国立甲状腺がんセンターにて小児甲状腺がんの外科治療を中心に、医療支援活動に従事
平成11年 高度汚染州ゴメリに移り、州立がんセンターで医療支援活動
平成13年 ベラルーシ共和国での5年半に及ぶ長期滞在を終え帰国
長野県衛生部医監として就任
平成14年 長野県衛生部長就任
平成16年 長野県衛生部長退職
3月 松本市長就任

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現在64歳
松本市蟻ヶ崎在住(松本市在住は46年)
家族は妻と長男


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•フランシスコ・スカリナー勲章(ベラルーシ共和国国家最高勲章 2000年)
•医療功労者賞(読売新聞社主催 2000年)
•吉川英治文化賞(吉川英治国民文化振興会主催 2001年)

情報源 http://www.sugenoya.com/profile/
posted by 究明 at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発・原爆・放射能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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