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これは2001年5月9日、米国の首都、ワシントンにあるナショナル・プレス・クラブで20余人のUFO、ETに関する直接体験をした証人を集め、政界人や世界の著名なメディアの参加のもとで、CSETIが「秘密公開」に向けて行った記者会見を録画したビデオを翻訳したものである。翻訳は録画したビデオからの英語の書き写しをもとに在米の斉藤弓子さんが訳したものである。
ジョン・サイファーによる紹介
何年も前、偉大な映画俳優ジミー・キャグニーが舞台に立っている時、同じ舞台に立つ女優が役からおろされそうになりました。キャグニーは、監督にその女優と話をさせてくれと頼み、彼女に言いました。「とっても簡単だよ。部屋に入って、足をしっかり地面にすえて、目を真直ぐ見つめて真実を言うんだ」。テレビドラマ「X-ファイル」のサブタイトルは、「真実はそこにある」です。まさにその通りです。私はこれを「真実はここにある」と言い換えようと思います。これからあなたがたは真実と対面しようとしています。私は俳優のジョン・サイファーです。
7年間、ドアを通り足をしっかり地面にすえて、テレビドラマ「ヒルサイド・ブルース」ではダニエル警察署長として、また大ヒットした人気ドラマ「メジャーダッド」ではクレイグ大将として真実を語るようにしてきました。2年間はドラマ「ダイナスティ」に、1年は「ノットランディング」に費やしました。昼のメロドラマ5本、ブロードウェイミュージカル12本、そして20本の映画に出演しました。すばらしいブロードウェイミュージカル「マン・オブ・ラマンチャ」では、リチャード・キレイの代役を務めました。その中で私は、「実現不可能な夢を見ろ、無敵の敵に立ち向かい、耐え難い悲しみに耐え、勇者さえ足を踏み入れない所に向かって走っていくために」と歌いました。私は今日、ホストのスティーブン・グリア博士を紹介するために来ました。博士は勇気のあるものさえ足を運ばないところに向かってがむしゃらに突っ走っています。
彼は緊急医療室の医師で、ノースカロライナ州の有名な病院の緊急病棟科長でした。3年前奥さんと4人の娘さんを前にして言われました。「これまで7年間片手間に真実を追求してきたけど、これからは本職としてやっていくよ」。博士は真実を追求するために高収入の職業から身を引かれました。私はいつもハムレットがホレーショに言った台詞を思い出します。「ホレーショ、君の夢見る哲学なんかより、天国と地獄の間にあるこの地上にはよっぽど色んなことがあるよ」。今から紹介する人は、「私たちが受け入れてきたことよりもっと色んなことがこの地上に存在する。そして私にはそれを証明する目撃者と書類がある」と言える人です。それでは皆さん、スティーブン・グリア博士です。
ホスト スティーブン・グリア博士
ありがとう、ジョン、記者の皆さん、アメリカ国民の皆さん、そして世界中の方々。今日私たちは、今まで50年もの間、馬鹿にされ、疑問に思われ、そして否定され続けてきた問題の真実を明かすためにここにいます。今日ここにいる人たちとそれに加え350人以上もの軍事、諜報機関のいわゆるUFO、宇宙人の目撃者たちは、この宇宙に存在するのは私たちだけではないということを証明します。今日ここにいるサラ・マクレンドンに感謝します。彼女はホワイトハウスの記者で、今日の主催者です。ありがとう、サラ。
(拍手) 1993年に私はこのプロジェクトの軍事関連のアドバイザーとバージニア州の田舎町で会い、一般市民と軍事、諜報部員、そして他の人々が一緒になってUFO問題の真実について明かす時が来たという意見で一致しました。その後、私は個人的にクリントン政権の最初のCIA長官だったジェームス・ウールシー氏と会見し、また国防諜報部長、諜報参謀長、上院諜報委員会のメンバー、多くの国会議員、ヨーロッパの閣僚たち、日本の国会議員や世界の他の人たちと会って話をしてきました。誰もがUFOの存在については驚きませんでしたが、皆一概にUFOプロジェクトにアクセスできないことについて恐れていました。
私たちが身元を確認した現時点で400人以上にものぼる証人たちは、CIA, NSA (National Security Agency, 国家安全保証局)、NRO(National Reconaissance Organization 国家偵察局)の職員、また空軍、海軍、海兵隊、陸軍の隊員とあらゆる分野での諜報機関部員、軍の機関職員、また会社員、政府の請負企業の会社員で構成され、彼らを通してこの問題を確証できます。彼らは闇の予算や極秘の未確認のプロジェクトに参加してきた人たちです。
これらの未確認の特別プロジェクトは1年に少なくとも400億から800億ドルを費やし、世界を永久に変えることのできる技術の上に腰をおろしているのです。私たちが今公然と現れた理由は、アメリカ国会とブッシュ大統領にこの問題に関して公式な調査と公表を促してもらいたいからです。この課題は人類の未来、アメリカの国家安全保障、そして世界平和に密接な関係があります。特にUFOと地球外飛行物体に関する技術は、一般に公開されそれが平和的なエネルギー生産と推進に利用されれば、深刻なエネルギー危機問題を解決することができ、また地球の温暖化に終止符を打ち、今地球が対面している環境問題を改善することができるのです。
また私たちは社会共同体として宇宙に武器を配置することの妥当性について討議し始めることが必要です。もし私たちだけが宇宙に存在しているのではなく、他の文明と領地を共有していることが証明できれば、宇宙に武器を配置することは無分別なことで状況を不安定にしかねません。この問題はアメリカ国内と国際社会にとって認識の範囲外だったので議論されてきませんでした。ですからこの問題を認識の範囲内に置くことが必要なのであってそのために私たちは今日ここにいるのです。私たちはUFOが時速何千マイルものスピードで飛び、停止し、そして右に曲がったのをレーダが捕らえたことを証言することによってこの問題を確証することができます。
それらの飛行物体は反重力推進力方式を使って動きます。この方式はすでにアメリカ、イギリスや他の国々での機密プロジェクトでどのように作動するのか研究され、解明されています。UFOは地球にすでに着陸しており、特にアメリカの特別チームによって撃墜され、また回収されてきました。そして少なくとも50年もの間、異星人も回収され彼らの飛行物体は没収され徹底的に研究されてきました。私たちは今日公開する証言と書類によって私たちが知っている限り少なくとも2代に渡る大統領の政権によってこの課題が議会のメンバーから隠されてきたことを証明できます。
合衆国憲法はこれらの機密プロジェクトの増大する権力によって堕落させられてきました。これは国家の安全保障にとって非常に危険なことです。ここで強調したいのは、異星人たちは私たちに対して敵意をもっているという証拠はどこにもないということです。ところが異星人が私たちの敵意を懸念しているという証拠はたくさんあります。彼らが私たちの大陸間弾道ミサイルを作動不可能にしたり、発射能力を鈍らせたりしたこともあります。今日、証言者たちがこれらの出来事についてお話します。ETは私たちに宇宙に兵器を配置して欲しくないということを明らかに示してきました。しかしながら私たちは危険な道を押し進めています。
国会と大統領そして国際社会によって管理されてこなかったので、この問題は国家の安全保障を脅かすものになってきました。だから私たちは事実を明らかにしなければらないと感じているのです。これが 「秘密暴露のキャンペーン(ディスクロージャー・プロジェクト)」の始まりです。先週ブッシュ大統領に渡したメモに、私は私たちの目的がたちせられるまでこのキャンペーンは続けると書きました。そしてその目的とは
UFO問題についてアメリカ議会で率直で公正な公聴会を持つこと。
恒久的な宇宙への武器配備の廃止と、すべての地球外物体への攻撃の禁止。
これ以上の環境破壊を防ぐのに間に合うように石油の使用を撤廃し、また今後10年間に確実におこるはずのエネルギー危機戦争を防ぐために、どのようにしてこのUFOに関する技術を明らかにし、そしてそれを使ってどのように平和的にエネルギー生産ができるかについての十分な研究をすること。
これは最も緊急な事項です。もちろん今までUFO問題はばかにされ続けてきました。私は緑色の小人について記事を書きたがる多くのマスコミの人々を知っています。しかし実際はUFO問題が笑われるのは、それが大変重要だからです。私はペンタゴン(アメリカ国防省)や議会のメンバーである大の大人たちが泣いてこういうのを聞いてきました。「いったい私たちはどうしたらいいんだ」と。私たちは、この問題が正当に世間に明らかにされるのを見届けます。私たちがすでにビデオでインタビューした100人以上もの中の勇気のある最初の21人の証人たちが前に出て真実を語ります。
人々は猜疑的な目で見ると思いますが、無分別にそうするとは思いません。なぜならこの証人たちは信用に値し、自分たちが何者であるかを証明でき、また人類にとって最も重要な出来事の第一目撃者たちだからです。彼らの何人かはアメリカで核兵器の扱いを指揮し、国家の安全保障についてのすべてにおいて多大な信用を得てきた人たちです。私たちは今彼らの言葉を信用しなければなりません。バチカン市国のバルドゥチ司祭は最近のインタビューでこう言いました。
「この目撃者たちの証言を受け入れないのは愚かなことだ」と。疑問に思うのは結構です。でも偏見をもって見たり頭でっかちな態度でにこれに対応したりするのは見当違いです。これはとても重要な問題なのです。マスコミ、科学学会、そして政府の官僚たちがこの問題を真剣に受け取り、人類と私たちの子供たちにとって正しい行動をとって欲しいのです。私たちは何十人もの最高機密の目撃者たちの500ページ近い書類と証言のコピー、そして4時間にまとめたビデオをメディアと国会のメンバーのために用意しています。
このビデオは商業用ではなく、私たちがインタビューした120時間にわたるビデオを4時間にまとめたもので、マスコミと国会議員の人たちに見てもらうために用意したものです。私はこの問題が真実で人類の未来にとって非常に重要だということを確証できます。今これを聞いているすべての人々にお願いします。議会のメンバー、世界の国々のリーダーたちにコンタクトをとり、この問題について率直な調査を行うように、また私たちは他の生物と宇宙を共有しているので、宇宙兵器の廃止を支持するよう頼んでください。
そしてこれが人類の子供時代の終わりだということを理解してください。今こそ私たちが宇宙文明の一員である大人に成長する時なのです。そのためには私たちは平和的な文明にならなければならず、宇宙に進出するのは辺境に兵器を配置する目的ではなく、他の文明と協力していく意図の下でなければなりません。証言者はあなたがたの向かって左側から順番に始めます。彼らが自己紹介し、どんな政府や軍の仕事に従事し何を個人的に経験したかを話すまで質問はしないでください。会の終わりに会場が閉まるまですべての質問を受け付けますし、あなたがたが必要なすべての情報を提供します。それでは最初の証人から始めます。ジョン・カラハン氏です。
ジョン・カラハン氏
私は退職したFAA(米国連邦航空局)の職員で ジョン・カラハンといいます。「ワシントンDC事故評価・調査部局」の局長をしていました。退職する2年程前、アラスカ局からマスコミに何と言って伝えたらいいのかという電話をうけました。私が「マスコミに何を伝えるって?」と聞き返すと彼は「UFOについてです。」と答えました。事態はここから悪化していきました。「UFOだって?」と私は言い、そのころすべての政府職員が言っていたのと同じように「調査中だ。」と答えました。
それから私はアトランティックシティのFAAの技術センターにすべてのデータを送らなければならず、私の直属の上司と軍務長と一緒にその翌日アトランティックシティに出かけました。私はビデオカメラを購入したばかりで、その出来事をビデオに録画しました。私たちはアトランティックシティでパイロットと管制塔員が見たとおりのものを彼らに(Planned ViewDisplayに)再生させました。そして管制塔員が言った言葉と彼が聞いたことを映像と同時に聞けるように彼の声が入ったカセットテープとビデオを同時に流しました。
そして私たちはそれを録画しました。次の日ワシントンDCに戻り、管理者のエンゲン海軍将官に事の次第を報告しました。彼は五分間ですべてを報告するように言いました。私たちが報告をし始めると彼は録画したビデオを見ることができるかどうか知りたがりました。私たちはビデオを再生し、彼はそのすべてを見ました。その次の日エンゲン海軍将官はレーガン大統領の科学スタッフと彼らがつれてきた他の人々へ手の込んだプレゼンテーションをするためにミーティングを設定しました。
そしてすべてのデータを彼らに渡すために、その朝9時か10時ごろFAAの会議室で、3人のCIA職員と3人のFBI職員とあとはよく覚えていない他の誰かに対して、私と私が連れてきたFAAの専門家たちと共にプレゼンテーションを行いました。私たちは彼らにすべてのデータとビデオとコンピュータのプリントアウトを見せました。彼らは一様に興奮していましたが、すべてが終了したとき、CIA職員の1人が私たちは秘密を誓わなければならない、そしてこのミーティングは開かれなかったし、この事件は起こらなかったことにするようにと全員に言いました。私は「なぜですか?」と尋ねました。
その時点で、その物体は単なる秘密の爆撃機だと思っていたからです。彼は「これはUFOがレーダーに記録された最初の事件だ。」と言いました。それを聞いてそこにいた人たちはとても興奮していました。そして私が「一般にこのことを公表しますか」と聞くと彼は「いや一般市民には伝えない。パニックになるからだ。私たちはデータを持ち帰って研究する」と言いました。そして私はそうか、彼らはそうするのだと思いました。私はこの話を色々な人に何度もしてきましたが、時々人々は怪訝な顔をします。
私はこのことに関わった管制塔員の声が録音されたFAAのオリジナル・テープを持っています。大統領のスタッフにこの件を引き渡してからFAAはこのことについてどうすればよいかわからなかったのです。FAAはUFOと飛行機との区別をつけないので、これは私たちの仕事の範囲内ではありませんでした。私はかなり興味深いオリジナル・ビデオのコピーを持っています。すべての報告が終わった後、私のオフィスには多くの報告書が入ってきました。これはFAA仕事の範囲外だったので報告書は私の机の上に来るはめになったのです。その報告書は、私が退職しスタッフが私の荷物をまとめ、私の家に運び込むのを手伝ってくれる日まで、私のオフィスの机の上に山積みになっていました。
また2、3日前、1992年の私の税金還付用紙と一緒に、レーダーターゲット(目標物)のUFOのコンピュータ・データを出力したものを箱の中に見つけました。その時にレーダーが捕らえたすべての目標物(UFO)を見たいのであればここにあるプリントアウトをもとにして再生することができます。そしてこれは「UFO事件、日本1628号」と呼ばれているものです。これは1986年11月18日に起きました。私は議会でここで私がお話したこととここにあるすべての証拠は真実だと誓うつもりです。ありがとうございました。(拍手)
チャールズ・L・ブラウン
おはようございます。すみません、少し緊張していて。私は、 チャールズ・L・ブラウンといって7年間の海外任務の後、退役した空軍中佐です。私は自分の名前が気に入っています、というのもスヌーピーのマンガでチャールズ・シュルツ氏がこの名前を有名にしてくれたからです。第二次世界大戦中、私はウエストバージニアの農家の若い息子でしたが、愛国心に目覚めてアメリカ陸軍に入り、ヨーロッパで爆撃機を操縦するはめになり、戦争が終わる時、太平洋を輸送していました。
1949年の夏の終わりに大学を卒業し、新しく設立されたアメリカ空軍に召還され、特別調査室という組織に任務を与えられました。大概の方々は御存じだと思いますが、アメリカ空軍は1947年に結成されました。特別調査室はアメリカ空軍の中で中心の調査局で、私が思うに1948年に作られました。ですから比較的すべてが新しかったのです。言うまでもなく、1947年に始まったUFO問題はかなり新しい事項でした。空軍技術諜報センターはライトパターソン空軍基地にあって、私のオフィスの隣のビルにありました。
私の所属する特別調査室は空軍におけるUFOについての世界的な調査局でした。これは2年ほど続きました。そしてプロジェクトの名前は「プロジェクト・グラッジ」(project grudge)といいました。これはエド・ルペルト率いる「プロジェクト・ブルーブック」の前の形でした。私はデータを集め、――私が集めようとしたわけではありません――データは私のオフィスに送られました。私はそれを分析しました。私はパイロット調査官だったので空軍技術調査員の人々にアドバイスをすることができました。
とても大規模なオフィスを想像なさるかもしれませんが、私が思い出す限りでは中尉と秘書と技術下士官だけで構成されていました。これらのさまざまな文書報告を分析していくうちに、私はこれらの報告の中には何らかの真実があるとはっきり確信するようになりました。地上有視界、地上レーダー、空輸有視界、空輸レーダーでこれらのUFO目撃が確認されています。目撃者たちは民間航空機パイロット、軍事機パイロット、警官やその他の私たちが日常生活において頼りにしている人々でした。そして彼らは尊敬すべき信用に値する人々なのです。
私はここで他の信用できる人々の証言があなたがたを納得させ、グリア博士のディスクロージャー・プロジェクトを進めていくことを願っています。このプロジェクトにはアメリカ国民だけではなく世界中の人々の関心を集めるために後押しが必要なのです。異星人の宇宙船は世界中で目撃され、確認されています。私は喜んで誓いの声明にサインしますし、私の判断と私が観察したことを証言します。UFOは存在します。どうか私が言ったことと、他の証言者たちの言うことを信じてください。ありがとうございました。(拍手)
マイケル・スミス
私はマイケル・スミスです。1967年から1973年まで私は空軍の下士官で、任務は航空機管制官と警告オペレーターでした。1970年にオレゴン州クラマスフォールで任務中のことでした。私がレーダー室に着くと、そこにいる人々は約8万フィート上空を旋回していたUFOがレーダーに写っているのを見ていました。UFOは約10分ほど静止していましたが、その後ゆっくりとレーダーから外れるまで下降していきました。そして5分から10分間レーダーから消えていましたが、その直後再度8千フィート上空に現れ、停止しました。
次にレーダーに入ったのは200マイル先で、静止状態でした。10分ほど旋回し、そしてもう2度同じことをくり返しました。私はUFOを目撃した時に普通するべきことを学びました。それはまずNORAD(北米防空軍)に報告し、このことについて何も書類に書き残さないで自分の中に納めておくということでした。このことは必要な者だけが知るべきだったのです。NORAD(北米防空軍)はその後同じ年のある夜、UFOがカリフォルニアの海岸線上に現われたと電話で知らせてきました。
私は彼らにこのことについて何かするべきことはないかと聞くと彼らは何もないと答え「何も書き留めなくていい、ただの警戒報告だから」と言いました。そして1972年の後半にミシガン州の753レーダー飛行中隊に駐在中、非常に狼狽した2人の警官から電話を受けました。彼らは高速75線に沿うマッキナウ橋から3機のUFOを追跡しているところでした。
すぐに私はレーダーをチェックしそのUFOがレーダーに写っているのを確認した後, NORADに電話しました。NORADの人たちはその頃2機のBー52がキンチェロー空軍基地に向かっていたので心配していました。彼らはUFOがBー52に接近するのを欲しなかったので、Bー52の進路を転換させました。その夜私は警察、保安庁とそのスタッフから多くの電話を受けましたが、私の応答は「レーダーには何も写っていませんでした」でした。私は議会の公聴会でこのことを証言します。ありがとうございました。(拍手)
エンリケ・コルベック
おはようございます。私の名前は エンリケ・コルベックといい、航空運輸の管制塔員をしています。英語があまり上手ではなくてすみません。大勢の人の前で話すのに慣れていないので、とても緊張しています。私は証人としてここに来ていて、今から私の仕事についてお話ししたいと思います。私はメキシコ市のメキシコ国際空港でレーダー管制塔員として働いています。それではメキシコで数年に渡って起きたUFO目撃事件について例を挙げたいと思います。不幸にも私の国ではUFO事件が多く起こっています。
例えば1992年の3月4日、私たちは国際空港から15マイル以内の距離にあるトルカ空港の西側で15機の飛行物体をレーダーに捕らえました。それから1994年の7月28日、国内線エアロメキシコ129機とUFOとのほとんど衝突事故ともいえるほどの事件が起こりました。パイロットのレムンド・セルバンテス・ブルーノは着陸ギアのすぐ左側から激しく何かが砕けるような音がするのを聞きました。それは大体夜10時半ごろのことでした。そして次の週、朝の11時30分にコルソパイロットが操縦するエアロメキシコ904機があやうくUFOと衝突するところでした。
私たちは突然その物体を一瞬レーダーに捕らえました。そしてその次の週、それぞれ違った時間に航空機か矢のように飛ぶ光を見たというパイロットたちから多くの目撃報告がありました。私たちはその週そのいくつかをレーダーで発見しました。1994年9月15日に私たちは約5時間もの間、新しいレーダー装置のモニターにある物体を捕らえました。私たちはその装置が正しく作動していないからだと思っていました。というのも同じ物体が静止したまま5時間もレーダーに捕らえられ続けることは普通ではないからです。
技術者によればそのレーダー装置にはどこにも問題がないということでした。とても興奮する出来事でした。次の日にジェイミー・モーサンというUFO 目撃事件の近隣の都市を調べているセラピストから情報を受けた時、私たちは驚きました。彼によればトルカ空港の南西の地点で多くの人々が直径15メートルもの巨大なUFOを目撃したということです。UFOは痕跡を地面に残しました。そして1994年11月24日、私たちは公式に新しいレーダーシステムを導入しました。
この時点で私たちはパイロットがUFOを目撃したのと同時にレーダーに目標物を確認することができるようになりました。そういうわけで私はここにいます。私の国ではこの問題はとても危険だと考えています。もっと多くのケースがありますがこれ以上時間を割きたくありません。これらの出来事は特に私の国では飛行交通上とても危険だということを世界中の人々が知るのはとても重要なことです。なぜメキシコにUFOがよく現われるのかわかりませんが、私が言いたいのはUFOは出現していてそれはとても危険な問題だということです。一般の人たちは不幸にもこのことを知らされていません。しかし私たちにはこれ以上UFO事件が起って欲しくないのです。ありがとうございました。英語が不得手で失礼しました。(拍手)
グラハム・ベスーン
私は グラハム・ベスーンといいます。退役した海軍中佐パイロットで最高機密へのアクセス許可証を持っていました。50年前の1951年2月10日、私の操縦する機はアイスランドからニューファンドランドのアルジェンティアに向って飛行していました。夜間で、辺りはとても暗かったです。アルジェンティアの300マイルほどの地点で私は何か光る物が街に近付いているのを海上に見つけました。私たちがこの光る物体に近付くとそれは巨大な水に写る丸い白い光へと姿を変えました。この光を観察しているとしばらくしてそれは消え、海には何も見えなくなりました。
次に私たちが見た物はもとの白い光よりもっと小さな黄色の光輪でした。その光輪は私たちから15マイルほど先にありました。そして急に海面から私たちと同じ高度へ向かって上昇してきました。その光輪の軌道のため私は自動操縦装置を解除し、この光の下になんとかすれすれに潜り込もうとしました。その時下方で物音がするのが聞こえ、私はその光る物体が私たちの機にぶつかったのだと思いました。しかし実際は何人かの乗組員が突っ込んで交互にぶつかった音でした。そのことでメンバー2人が怪我をしました。
その光は私たちの右側に現れ、ゆっくりと動き、私たちと一緒に飛行しました。その光はまだ私たちの高度までたちしていませんでたが、私はその形を見ることができました。ドームがあり、冠から光を発していました。私はもう一人のパイロットのアル・ジョーンズに操縦をまかせ、客席の様子を見に行きました。コックピットに戻り、私は皆にこのことについて誰にも報告しないように言いました。乗っていた心理学者が単に「たぶん彼らは私たちを監禁するだろう」と言ったからです。
コックピットの機械にはコンパスの分野で基本的に4か5のトラブルが起こりました。方位ファインダーとこの種の機械に関しては電磁波の影響があるからです。UFOはレーダーによれば時速1800マイル以上で飛行しているいうことでした。しかし私たちの高度にはたちしませんでした。31人の乗客と心理学者が1人、そして乗組員全員が様々な方向にこのUFOを目撃しました。ニューファンドランドのアルジェンティアに着いた時、空軍のポールソン大尉から質問を受けました。
パトゥックセット川の海軍エアーテストセンターに着陸した時は、空軍の諜報部員から個々に報告を提出するように要求されました。私は国の公的記録より、18ページの陸軍と空軍の報告書類を持っています。私は真実を語るために報告書を作りました。このことについて書かれている書類がこれだけの量にのぼります。(手でジェスチャーをして聴衆に見せる)ですから真実はここにあります。私は国会で私が今言ったことがすべて真実であると証言します。(拍手)
ダン・ウィリス
私はダン・ウィリスといい、アメリカ合衆国海軍に所属していました。当時私は最高機密レベル14、特別物質取り扱い許可証を所持し、サンフランシスコの海軍駐屯地通信室で働いていました。1969年に私はアラスカ近くにいた船から機密扱いになっていた重要メッセージを受け取りました。それは港の湾曲部近くの海から明るく光る赤っぽいオレンジ色の直径約70フィートの楕円形の物体が出現したという報告でした。その物体は海の中から突如現れ、空に飛び出し、時速7000マイルのスピードで飛行して行きました。
これは船のレーダーで探知され確認されました。それから何年も後、私は13年間サンディエゴの海軍電気工学センターで勤務しました。そこで一緒だった私の同僚はNORAD(北米防空軍)で働いたことがありました。彼がNORADの施設で働き始めたある日、宇宙と空中に行き交うすべての飛行物を探知するスクリーン上にある物体が写っているのに気付きました。その物体は信じられないような動きをし、右に直角に曲がりました。彼がその物体について尋ねた時、引用「それは私たちの小さな友人たちが訪問しているだけのことだ。」と年上の上司が言いました。これは少し異例の出来事でした。これらの供述は真実であり、私は喜んで議会の前で証言するつもりです。ありがとうございました。(拍手)
ドン・フィリップス
私はドン・フィリップスといいます。アメリカ合衆国空軍に所属し、政府のある諜報機関とともに働いていました。空軍に入る前の大学在籍中、設計工学者として、有名なロッキードスカンク・ワークス(戦闘機プロジェクト)で働きました。ケリー・ジョンソンという人と仕事をした時は私の人生の中でもっとも誇りの持てる時期の一つでした。皆様にもそれはわかっていただけると思います。私たちが組み立てていた飛行機のモデルはすべて機密扱いでディープブラック(闇)の部類でした。
私が参加したのはUー2プロジェクトの終わりごろでした。私の関わった主なプロジェクトは後にSRー71と呼ばれていました。SRー71には前の形があり、CIAのために独自に作られたモデル(航空機、戦闘機)でした。それは1つの場所から他の場所へ大変速く移動するための乗客1人、パイロット1人用の特別な航空機(戦闘機)でした。現在これらの私たちの知っているSRー71はブラックバードと呼ばれ、その飛行高度と保持するスピードの記録に関してはいまだ機密扱いになっています。私はこの航空機(戦闘機)が冷戦の終焉に大きな役割を果たしたと誇りをもって言えます。その前の形の航空機(戦闘機)はおそらく空中に出ると違った役割を果たしたという強力な証拠を示しています。
私も何人かを知っているのですが、パイロットたちは離陸する前に任務を割り当てられていました。彼らは離陸すぐ直前までその任務について知らされていませんでした。そしてその任務には二重の役目があったという確かな証拠があります。彼らは地球から出るものと入ってくるものの何らかの交通量を監視していました。これはあとから証言することにして、私の軍での体験をお話します。私の空軍での最初の駐屯地はラスベガス空軍ステーションでした。ラスベガスでの私の最初の体験で、私にはなぜ人々がこのような場所に好んで来るのか理解できませんでした。しかし1年後にそれがわかりました。ネリス空軍基地があったからです。
ネリス空軍基地は特別航空機と戦闘機の主な訓練地の1つで、世界中のパイロットが集まってくる訓練地だったのです。しかし私の任務地は50マイルほど街中から離れたチャールストン山の近くのレーダーサイト地だと知った時、私にはどのようなところに行くのか全く見当がつきませんでした。なんとか日中の光で場所がわかり任務についた報告をしました。それは1965年のことでした。1966年のある早朝、1時から2時の間に私は基地の中の8000フィートほどのところにある兵舎にいました。誰かが大騒ぎしている声が聞こえました。その高度なので音はとてもよく響きます。
わたしは朝早くて夏だから暖かいし起きて見に行くべきだと思いました。本当はそうしたくなかったのですが、私のオフィス近くの道を出て、音がする部屋の中を調べてみました。その部屋は指揮官の部屋でした。私はチャールズ・エバンス中佐の元で働くスタッフでした。私は誰がこのような騒音をたてているのかわかりませんでした。だれがこんなに朝早く大騒ぎしているんだろう。私が4人か5人の人たちが立っているところの50ヤードまで近づいた時、(その中の一人は安全防備チーフでした)全員が同じ方向の空を見上げているのに気付きました。私も西北西に目を向けると、驚いたことに空に光が点滅していて、その光は時速2400から3800マイルのスピードで動いていました。
私たちが遠距離から見当をつけただけでも、これはすごいことでした。引き続きこれらの矢のように飛ぶ光を見続けると、光は空を横断した後、停止しました。全くの停止状態になり、そして鋭角に反対側に方向を変えて飛んで行きました。その光はとても速く飛んでいたので、空に跡が残ったように見えました。コンピュータを使う人にはわかってもらえると思いますがマウスをモニター上で素早く動かすと尾のようなものが見えます。それはまさしくこの6機か7機の飛行物体に起こったことでした。5分間ほどこれを観察していると、飛行物体は西北西の方向で一緒になり円形を作りました。
私が強調したいことはこれらのUFOは「エリア 51」として知られた場所のすぐ東側の位置の、私たちから見て北北西の方向で円形を作ったということです。エリア 51はAEC(原子力委員会)の元の名前でした。私たちは空軍のグルームレーク飛行テスト施設として知っていました。「スカンク・ワーク」プロジェクトで原型の航空機を製造した後そこでテストをしたのです。さて、話をUFOが作った円形に戻しましょう。UFOは1つに合体し、そして円上に廻り、そして消えました。私は、これは秘密にしておかなければいけない事件だと思いました。それは安全防備チーフからも証明されました。私たちはそこで待ち、おそらく1時間ぐらいはそれについてしゃべったと思います。
それから高度1万フィート以上にあるスコープのレーダー監視者たちが来ました。彼らは朝の2時に夕食に来たのです。バスから初めに降りた人はアンソニー・ケイサーという私の親しい友人でした。彼はベッドのシーツのように白くなっていました。彼は私に言いました。「あれを見たかい?」そして私たちは全員「ああ、良い見せ物だったな。いいショーだった」と答えました。彼は「私たちはレーダーで証拠を捕らえたけど機密扱いにはしなかったよ。飛ばせとけっていうただの軍命令だった。6つから7つのUFOを確認した」と言いました。
誰があれを操っていたのか知りませんが、明らかに頭のいい奴でしょう。それらのUFOは一つに合体して消えてしまったから、どこに着陸したのかはわかりません。とういうことでこの時点で私の言いたいことを一言で言えば、私は今私の言ったことが真実であると議会で証言します。ありがとうございました。(拍手)
ロバート・サラス
私はロバート・サラスです。履歴に書いてあることに反しますが、私は空軍で大佐ではありませんでした。空軍士官学校を卒業した後、1964年から1971年まで空軍に所属し、退役した時は空軍大尉でした。1967年の3月、モンタナ州にあるマルストラム空軍基地でミニットマンミサイル打ち上げ将校として任務についていました。1967年3月16日の早朝、階上の第一警備員から電話がありました。その時約6人の安全警備飛行士がいたのを覚えています。私は階下の60マイル地下のカプセルの中にいて10の核兵器が先端に搭載されたミニットマンミサイルを監視、管理していました。
私はその日の朝、警備員から空に奇妙な光が飛んでいるという報告をうけました。私はその電話を無視し、もっと重要なことが起こったらまた知らせるようにと言いました。次に私が電話を受けた時はその警備員の声のトーンが違っていました。彼は明らかに怯えていて、「とても明るい赤い物体が正面の門の外側を旋回していて、それは楕円形でした」と言いました。彼は他の全員の警備員に武器を取り出させました。そのすぐ後に休眠中だった私の指揮官で現在は引退した大尉のフレッド・マイワルドを起こし、私は大尉にその電話について話しました。
私が説明しているとミサイルが次々と落ち、発射不能状態になりました。2度目の電話を受けてからほんの数分間UFOが正門の外を旋回している間に6から8のミサイルを失いました。そして同じ日の朝指揮官に報告した後、私たちは大変似た事件がエコー飛行隊でも起こったと知らされました。私はオスカー飛行隊にいました。エコー飛行隊でもUFOがミサイル発射施設で目撃され、彼らは10のすべての兵器を失いました。整備工と警備員のクルーがそこにいて、夜を過ごしUFOを目撃したと報告しています。
エコー飛行隊の指揮官は大尉として今は退役しているエリック・カールソンでした。私たちにはこれらの証人がおり、今挙げた人たちはこの事件について以前に語っており、私の話を支持するでしょう。私はまた空軍からのリクエストでFOA(情報公開条例)から受け取った証拠文書も持っています(聴衆に見せる)。それにはエコー飛行隊の事件のアウトラインとUFOに言及している文書も含まれています。またこの事件のことを述べているテレックスも持っています。
(聴衆に見せる)そしてその中のテレックスの1つには「10のミサイルを失ったのに明確な理由が全くわからないということはこの司令部にとって重大な関心事である」と書いてあります。これはSAC(戦略空軍司令部)の司令官からです。私たちにはこれらのテレックスがあり、約12人の目撃者がいます。そしてその中にはこの話の一部を証言できる、空軍の依頼でこの事件を調査した人もいます。次の証人もこのことについて少し触れると思います。
そしてまた同じ時にUFOを目撃した他の警備員もいますし、他のUFOの報告をした今は大佐として退役している将校もいます。それに付随して私は1966年8月にノースダコタのミノット空軍基地で起きたとても似た事件の完全な報告書も手に入れました。これは私たちの事件が起きた日の1週間以内に起きたもので、ミサイル地下格納所の上でUFOが目撃され、空軍が調査したという私たちの事件に似たUFO事件です。私は今言ったすべての事件の真実を喜んで議会で証言します。ありがとうございました。(拍手)
ドワイン・アーンソン
おはようございます。私はドワイン・アーンソンといいます。26年間ベトナムを含む世界中でアメリカ合衆国空軍の情報電気将校として任務しました。私は運良く3つの異なる空軍の部隊で指揮官として選ばれました。最高機密SCI(特別区分情報)の許可証を持っていてこのことを知らない人のために言いますが、これは最高機密(トップシークレット)のさらに少し上をいくものです。私は1986年にオハイオ州にあるライトパターソン空軍基地で大尉として退役しました。それではUFOに関連した3つの異なる経験をお話します。
1960代前半、ドイツのラムスタイン空軍基地で若い中尉として私は暗号センターを管理していて、最高機密の秘密許可証を所持していました。私は暗号センターに入ってきたメッセージのことをとても鮮明に覚えています。それは「一機のUFOがノルウェイのスピッツバーグに墜落した。科学者のチームが調査に来ている」というものでした。時間的に進んで、1967年に私はモンタナ州のグレートフォールにある第28空軍隊で任務についていた時のことです。私はそこの情報センターを監督する将校でした。機密の口座を持ち、その口座の管理人でもありました。私はまた核兵器発射の承認者でもありました。
その期間に情報センターから来た通信を見たのを覚えています。それには基本的にボブ(ロバート・サラス)が今話をしたことが書かれていました。一機のUFOがミサイル地下格納所の近くで目撃され、ミサイルが発動不能になったというものでした。偶然にも、ミサイルがなぜ発動不能となったかを調査するためにボーイング社がよこした人は、ボーイング社で私の最初の上司だった故ボブ・カミンスキ氏でした。私は別の状況で彼と関わったことを覚えています。
彼は私の故郷であるワシントン州のオーバーンの私の家の近所に住んでいました。彼は「アーニー、ミサイルは完璧にきれいなままだよ。あれは何かの結果だったんだ」と言いました。最後の事件はメイン州のカスウェル空軍基地で、ある部隊の指揮官だったときに起こりました。私はメイン州のローリング空軍の警備警官に知り合いがいました。彼らはローリングAFB(空軍基地)の核兵器保管所の近くでUFOが目撃されたと私に言いました。私はこれらのことが全くの真実であると喜んで議会で証言します。ありがとうございました。
ハーランド・ベントレー
おはようございます。ハーランド・ベントレーです。1957年から1959年の間、私はワシントンDC北部のメリーランド州オルネー近くのナイキアジャックスミサイル基地でアメリカ陸軍の一等兵として任務についていました。1958年5月の朝6時頃、外で物音がするのが聞こえました。それは鼓動している変圧器のようでした。寝床から起き上がり窓から外を見ると、ある飛行物体が空から地上に墜落し、その物体からかけらが落ちるのが見えました。そしてそれはまたすぐに離陸し、飛び去りました。これについてはもっと色々な話がありますが、少し手短に言います。
翌日の夜、レーダーを監督する任務についているとガイサースバーグミサイル基地隊員から電話を受けました。彼が「ここから50〜100フィート上空に12〜15機のUFOが確認されました。」と言ったので私は尋ねました。「それはどんな音をたてているんだ?」彼は頭からマイクをはずし、窓からそのマイクを出し私に聞かせて言いました。「ほら」それは前の朝、私が聞いた音と同じ種類でしたが、この日の音はもっと激しいものでした。私のレーダーは待機状態だったのですぐさまスイッチをいれるとレーダースクリーン上に光を捕らえました。そして数分後その光は突然離陸しました。
その光が離陸するとレーダースイープ(秒針)が回ってきてその光を捕らえました。そしてレーダースイープ(秒針)がその光を再び捕らえました。その光は2度目にレーダースイープ(秒針)が捕らえた時には最初の位置からレーダースコープの2/3ほどに動いていました。 そこまでの距離に行くには継続速度時速17,000マイルはあったと思います。これが私の体験した最初の事件でした。10年後、私は電気工学の学位を取得し、カリフォルニアで働いていました。カリフォルニアのある場所としか言えませんが、私はそこの仕事とは別に機密扱いのプロジェクトに参加していました。
カリフォルニア時間の朝の2時か3時に仕事をしていると、ヒューストン宇宙飛行士情報通信が聞こえました。私は「おばけ」という単語を聞くまで特に注意して聞いていませんでした。「おばけ」という単語を聞くともちろんすぐに私は聞き耳をたてました。未確認の飛行物体か航空機か隕石か何かが月のまわりを廻る宇宙船と衝突したと言っていました。私はしばらく通信を聞いていましたが、そのあと聞くのをやめ仕事に戻りました。そしてしばらくすると「ほら、またあそこに」というのが聞こえました。
何人かの人たちは御存じかもしれませんが、宇宙飛行士の間で使われていた「緑色の亀」という用語があります。今はどうか知りませんが、その用語は以前、品のない言行は通信ネットワーク上で禁止されているという意味でした。誰かが品のない言動を発した後、それを聞いた人が「緑色の亀」というと、言動を発した人が「緑色の亀」と言った人とその家族にケープカナーバラル市で一番高級なレストランでディナーをおごらなければなりませんでした。
さて無駄話はおくとして、通信をしている中の一人が「こんちくしょう」と言い、その後UFOが離陸した時、彼はまた、「こんちくしょう、すごく速いぜ」と言いました。誰かが「緑色の亀」と叫びました。そしてその宇宙飛行士は「くそったれ」に類した言葉を使い、また違う誰かが「緑色の亀」と叫びました。その宇宙飛行士が歯ぎしりして悔しがっているところが目に浮かぶでしょう。2回も豪華なディナーを奢るはめになったのですから。私のこの特別な体験を議会で証言します。そして必要であれば正確に何が起こったのかを証明します。ありがとうございました。
ジョン・メイナード
私はジョン・メイナードです。陸軍を退役した時、第一階級軍曹でした。21年間の任務を通して最高機密アクセス許可証を保持していました。そのころは細分化されていて最も高度な機密としてはTK,OMNI,CRYPTOその他があります。私は非常に重要な文書へのアクセスができました。私の証言は基本的に二つあります。私は1980年にDIA(防衛諜報機関)から引退しましたが、管理者だった時、事務室のすべてを管理していて、すべての書類にサインしていました。私は2000余りの文書にサインしました。これらの目録にサインするためにはすべてを読まなければなりません。
一語一語ではありませんが、私はそれらの文書がすべて完全であると確かめるためにすべてに目を通しました。あらゆる文書は私が次の人に私の任務を引き渡す時そこにありました。ですから、この文書の内容に関する知識は十分に得ていました。どうか信じていただきたいのですが、その中にはUFOに関して言及した文書がたくさんありました。私は目標にされた物体が写ってるNIPC(連邦写真諜報センター)の写真も持っています。私はオフィスでSALT1とSALT2の分野で働きました。
ですから私たちは核兵器武装解除の証拠とするためいつも写真を撮っていました。その中にはあるはずのない物体が写っている写真がありました。このことについての第二の隠された意味は、多くの人が影の政府に関する陰謀説について話しているということです。私は議会でこれらの影の政府は実際に存在するということを喜んで証言します。私はもう少しのところでその一部となりかけました。しかし正気を取り戻してそこから抜け出しました。私の話はこれだけです。今私たちが知っていることを明かさなければなりません。議会や他のどんな組織の前でも私が目撃したことが真実であると証言します。
カール・ウルフ
おはようございます。私は カール・ウルフといいます。アメリカ空軍で最高機密アクセス許可証を保持していた精密電気写真修理工でした。私は1965年の半ばにバージニア州のラングレー空軍基地に勤務していた時、NASAラングレーフィールドの「月の人工惑星プロジェクト」に借りだされました。コーリー博士がこのプロジェクトを統括していました。ある電気機器が故障していて写真の製作の障害となっていたので私が借り出されたのです。私がその施設に行くと建物には世界各国の科学者たちが集まっていました。
私はNASAのプロジェクトで世界中の科学者たちがいるのを見て呆然としました。私には初めその意味がわかりませんでした。私は故障した電気機器がある研究室に連れて行かれました。暗い部屋ではその機械を修理することができなかったので、移動させるように頼みました。その時一人の2等飛行士がその暗い部屋にいました。私もそのころは2等飛行士でした。私はどのようにしてすべてのプロジェクトが運用され、どのようにしてデータが月の軌道から研究室に入ってきたかに興味を持ちました。
私がその若い飛行士に頼むと彼は説明してくれました。30分位たった頃、彼は大変困ったように「ところで、私たちは月の裏側に基地を発見しました」と言いました。そして彼は私に写真を見せてくれました。その写真には明らかに、きのこ形状のビル、球状のビル、そして塔の建築物が写っていました。私たちは閉ざされた防衛分野の中で働いていたので、その時私はとても心配になりました。彼が安全保障の秘密を漏らしたので私はとても恐くなり、それ以上彼に質問しませんでした。
その後誰かが部屋に入ってきました。私はさらに3日間そこで仕事をした後、馬鹿正直にも夕方のニュースでこのことを聞くのが待ちきれずに家に帰ったのを覚えています。そして30年余りたった今日、今夜こそ、そのニュースを聞くことを願っています。私は議会で私の言っていることが真実であると証言します。ありがとうございます。(拍手)
ドナ・ハーレ
カール、ありがとう。皆さん、おはようございます。私は ドナ・ハーレといい、1967年から1981年までフィルコ・フォード航空宇宙センターに勤務した、デザインイラストレータ製図工でした。私はNASA向けに、発射滑走路、着陸滑走路、照尺図板装置、月面地図の製図をしました。私たちは請け負い業者でしたが、たいていNASAの第8ビルで仕事をしました。宇宙飛行計画の合間のあまり忙しくない時間に余分の仕事をする機会がありました。
私は事務室から廊下を隔てたところにあったNASAの研究室である、写真実験室に立ち入りました。私はそれほど高い地位にないのですが、機密アクセス許可証を所持していて、機密区域に入るのを許されていました。そしてこの写真実験室もその一つでした。そこで技術員の一人と話している時、彼は一枚のNASAの写真を私に見せてくれ、それが私の注意を惹きました。その写真には点が写っていたので、「これは何?」と聞くと、彼は私の注意を惹いたのです。
私が「感光乳剤の染みですか?」と聞くと、彼は笑顔を見せながら手を組み「感光乳剤の丸い点は地上には丸い影を落とさないよ」と言いました。その写真は地球の空中写真でした。松の木があったので地球だと思ったのですが、この飛行物体らしきものは木の影と同じ角度に影を落としていました。私は彼に確認したかったのですが、未確認飛行物体という単語通り、私にはそれが何なのかわかりませんでしたが、その時点で、それは機密扱いにされていたことがわかりました。
なぜなら私が尋ねると彼は「それを聞いてどうするんだい?」と言い、「いつも民間に売る前に修正用エアブラシで消すんだよ」と言いました。これらの写真に写ったやっかいで小さな物体たちを彼らは消去したがっていたのです。その後はそこで働く他の人たちに質問することにしました。そして私は彼らに仕事中ではなくプライベートで質問しなければならないことがわかりました。警備員の一人は写真を一枚も見てはならず、焼き捨てるように言われたと私に言いました。
また緑色の軍事服を着た警備員が見守る中、それらの写真を焼却した人もいます。彼はどうしても誘惑にかられ、1枚の写真を見るとUFOが写っていました。彼の描写はとても詳しかったので、後で興味のある方にお話しします。彼はすぐに頭を何かで打たれ額に大きな傷を負い、意識を失いました。とても怖がっているので彼を守る必要があります。次に他の事件についてお話します。私はアポロ宇宙飛行士と検疫所で一緒だった人を知っています。アポロ宇宙飛行士が月に着陸した時、宇宙船を目撃したとその人は私に言いました。そして彼もまた怖がっていて、「アポロ宇宙飛行士はこのことについてしゃべらないように言われていて、彼らはこのことについて話すことを許されていません」と言いました。
知っていただきたいのは、私は長い間NASAの請負業者として働いていてこのことに偶然出くわしたということです。ですから長い間働いていたからといってすべての人がこのことについて知っているわけではありません。私の上司は知りませんでしたし、私の隣に座っていた同僚も知りませんでした。これはとても奇妙なことなのですが、どうやってそうできるのか知りませんが、彼らはある一定の人々にはこのことを知らせ、他の人には知らせないようにしているのです。私は喜んで議会で私の言ったことが真実であると証言します。どうもありがとうございました。(拍手)
ラリー・ウォーレン
おはようございます。みなさん、そしてプレスのメンバーの方々、私は ラリー・ウォーレンといいます。20年前の1980年に東アングファのサフォークで、安全保障スペシャリストとして英国空軍(RAF)ベントウォーターのNATOの空軍基地に勤務していました。私は機密安全保障許可証を持っていて、そのころそこに保管されていた補強用核兵器を警備していました。その核兵器の存在はイギリスの人々には知られていませんでした。私は3夜に渡るUFO事件の一部を体験しました。
UFOは私たちのWSAの上に侵入し、鉛筆ほどの太さのライトビームを発し、そしておそらくその核兵器を作動不可能にしました。UFOは2夜に渡って現れ、エイリアンが目撃された可能性があります。これは知られざる真実です。これらの事件はイギリス政府だけでなく、アメリカ政府にとっても安全防備上非常に重要な出来事です。これらの事件は未だに秘密にされています。これはとても複雑で、大変重大な問題です。単なるUFO問題ではなく、人権問題です。20年前なら、この会議室は空っぽだったでしょう。
私は歴史の転換を感じています。これは変化のある歴史ですが、不幸にも安全保障機密の伴う歴史です。私が何を経験したか、何を見たかを議会の前で誓うのは名誉なことです。これらの出来事は数えきれない程の政府による否定とSF小説のような副基地指揮官チャールズ・ホルト空軍中佐のメモを生みだしてきました。そして何年も後、これらの物体が離れ業を演じ、上空を侵犯した音を中佐が録音したカセットテープも生まれました。これらの事件は安全防備上非常に重要です。
私はこの出来事を経験した軍の人たちが法的免除を与えられ、ここにいる私たちに加わることを願っています。ここにいる人たちとステージを共にすることは光栄です。私は世界中のすべての子供たちと私の息子デニスのために世界を変えることができると思います。あなたがたもここにいる私たちとともに英雄です。私は議会で今言ったことが真実であると証言します。ありがとうございました。
ジョージ・ファイラーIII
こんにちは。私は ジョージ・ファイラー三世です。私がここにいる理由は私の孫ジョージ・ファイラー五世が金曜に生まれる予定だからです。私は退役した諜報部員で、5,000時間の飛行経験のあるパイロットでした。1962年にロンドン管制塔からUFOを追跡できるかという電話を受けるまで、私はその存在を信じていませんでした。私たちは承諾し、私がいた3万フィートからUFOが旋回していた1,000フィートまで降下しました。私たちは急降下し、その航空機の赤線を越えました。UFOを追跡するのは危険なことです。
そして私たちは40マイル先にそのUFOをレーダーに捕らえ、遠くに光を見ることができました。そして私たちが近付くと共にレーダーに何度もそれを捕らえました。レーダー上のUFOは独特な動きをしていて、安定していました。そしてそれは何らかの金属製の物体だということを示していました。私たちが1マイル程先まで近付くとUFOはきらめいて、空に消えました。それはスペースシャトルが離陸する時によく似ていました。その後私は諜報部に勤務し、ベトナムでUFOについてブラウン大将と会見しました。
マクガイア空軍基地の21空軍隊にいた時にはグロー大将と1976年のイランのテフラン上空のUFO事件について話をしました。それはイラン空軍の2機の F−4が離陸し、UFOを攻撃しようとした事件でした。彼らが発射コントロールシステムのスイッチを入れた時、すぐに F−4の電気システムが遮断され、彼らは基地に戻らなければならなくなりました。これは特に重要な事件でした。衛星にも捕らえられたからです。1978年の1月18日、私はいつものように朝に基地に行って参謀グループと会見していた時、滑走路の端にライトが点灯しているのに気付きました。
私が司令席についたとき、そこを仕切っている下士官が、夜中パンハンドルにUFOが現れ、レーダーにも捕らえられ、管制塔も目撃していて、航空機報告も受けた等々と告げ、UFO1機がフォートディックスに着陸または墜落したかもしれないと言いました。フォートディックス陸軍基地とマクガイア空軍基地は同じ敷地内にありました。この事件は東のロズウェルのようでした。飛行物体からエイリアンが出てきて、軍警官に撃たれたのが目撃されました。
その生物は明らかに負傷したようですが、マクガイア空軍基地のほうに向かって歩いて行きました。何らかの理由でエイリアンは陸軍より、空軍のほうが好きなようです。たぶん陸軍は彼らに銃を向けたからでしょう。ともかくその後警備警官が滑走路の端でエイリアンが死んでいるのを見つけました。彼らは私にトム・サドラー大将と8時に会見をするように頼みました。私は「大将はユーモアのセンスがないし、自分自身もこの話が信じられないから会見をしたくない」と言いました。
そして私はこの事件の詳細をチェックすることにし、438司令部に電話したら大概皆が同じことを言いました。8時に会見する直前、皆が心配していました。彼らは「会見しなくていいよ。このことはホットすぎる」と言っていました。これがおおよその私の話です。私は議会の前で話をする用意ができています。これは真実です。この事件のおかげで私はUFOに興味を持ち続けています。
私は東MUFON (相互UFOネットワーク)の理事をしています。ピーター・ダベンポート率いるアメリカ報告センターとMUFONで一週間に平均100件のUFO目撃報告を受けます。アメリカ中の人々が常にUFOを目撃しているのです。あなたも興味を持ちチェックすれば彼らを目撃することができるでしょう。UFOは低空にいるので人々はいつでも見ることができます。MUFONに報告してくる人々は大変信頼できる人たちで主に電子メールによって連絡してきます。ありがとうございました。(拍手)
クリフォード・ストーン
おはようございます。皆さん、 クリフォード・ストーンです。私はアメリカ陸軍の第一等下士官で、核兵器機密アクセス許可証を持っていました。特殊オペレーションに呼ばれた時いつでも必要な時にしなければならないことをするために許可証を得ることができたのです。今私が話しているのは、墜落したUFOの回収、それからうまい表現がないのですが、その墜落機から油性物質を取り除くことにも関わっていました。これらの墜落にはそれに関わる異星人の遺体もあり、その中には生きた異星人もいました。
このようなことをしていながら、アメリカ国民には何もないと言っていたのです。何件かの出来事の概略をもう少し詳しくお話したいと思います。これに関する私の関係についての質問をいつでも受け付けますので、グリア博士に後でアレンジしてもらって下さい。問題は、私たちはアメリカ国民にUFOなんてものは存在しないと言い続けてきたことです。私はこれらの地球外物体の回収に関わってきました。私たちはそれらの物体が地球外から来たことを知っています。
1969年にバージニア州のフォートリーに駐在している時起こった事件があります。私たちはペンシルバニアのインディアンタウンの峠に行きました。これが私がUFOの回収に関わった最初の事件でした。私たちが着いた時、施設の人々がすでにそこにいて、私たちは後方支援チームでした。この機には核兵器が搭載されているはずだったのでNBC(核兵器、生物兵器、化学兵器)に関わる作業をすることになっていました。後にこれに関わったほとんどの人が、その機には何も搭載されていず、ただ航空機の1機が墜落しただけだと伝えられました。
しかし私はそれ以上のことを知っていました。私はガイガー計数管(放射能測定器)を持って、表面をチェックするためにその機に近付いたチームのメンバーだったからです。私は異星人の遺体の第一発見者でした。これは後に続く12件のうちの最初の事件でした。UFOの墜落は毎日起こるわけではなく、非常にまれなことです。私は宇宙には地球人だけが存在するのでないことを知っています。
そして、証拠が存在しないことが存在しないことの証拠ではないことを知っています。そしてその証拠自体がアメリカ国民に否定され続けてきたのです。議会が私を呼び「あなたが見たことを詳しく議会で証言してくれますか」と頼むかもしれないときの、私の答えをあなたがたと全能の神を前にして今言います。私にはその用意ができています。政府は理由もなしに人々にうそをつくべきではありません。ありがとうございました。(拍手)
マーク・マカンドリッシュ
おはようございます。私は マーク・マカンドリッシュです。この21年間さまざまな防衛産業請負業者のためにコンセプトアーティストとして働いてきました。私はロックウェル社のXー30プログラムまたHYSTPプログラムの生産にも携わりました。HYSTPとは超音速テストベッドプログラムのことです(写真を聴衆に見せる)。長年のキャリアを通して、2回程安全保障機密アクセス許可証を持つ機会がありました。
1967年に私の父がウエストオーバー空軍基地の第8空軍の空軍戦略司令部に駐在していた時、私は望遠鏡でUFOが核兵器の施設の上空を約10分程飛行しているのを目撃しました。そのUFOはライフルの弾丸のように急速度で飛び去りました。1988年11月に大学時代の友人であるブラッド・ソレンソンがノートン空軍基地で11月12日に開催された航空ショーの際に、巨大な格納庫でUFOを3機目撃したと私に言いました。私はその後その地域の下院議員だったジョージ・E・ブラウン・ジュニアの事務所に電話しました。ブラウン議員はそのころ宇宙科学技術部門の下院議員委員長でした。
友人のブラッドが行ったプレゼンテーションは軍のトップの高官と議会の議員に向けてのものだったので、私はブラウン議員の事務所が地域の空軍の公務事務所と協力して行ったものだと思ったのです。ブラウン議員の事務所で働く男性スタッフは、そのショーが実際に開催されたことだけでなく、展示物の中には3つの円盤があったことを確認してくれました。これらの円盤は何の支えもなしに床から浮いていたということです。これらは「再生エイリアン航空機(宇宙船)」とされ、あだ名は「フラックスライナー」と呼ばれていました。
とても高電圧の電気を使っていたからです。ブラッドは円盤を見たあとすぐにスケッチし、その後より正確になるように描き直しました。グリア博士が今持っているのが彼のスケッチをもとにして私が作ったフラッスライナーの図(絵)です。その後私は2枚の写真を手に入れました(聴衆に掲げる)。この写真は1967年に軍のパイロットであるハーベイ・ウィリアムスが空軍のC-47機でユタ州プロボの25マイルほど南西の高度1万2千フィートを飛行中に撮影したものです。
このUFOはいわゆるARVと呼ばれる戦闘機に寸法と細かい形が一致しています。この写真は1967年の6月に撮影されました。後の1992年にエドワーズ空軍基地の航空ショーでケント・セレンという人と話す機会がありました。その航空ショーはB-2爆撃機の最初の一般市民への公開の場でした。セレン氏は1973年にエドワーズ空軍基地で実験航空機のプロジェクト主任長だった時に思いがけなくARVという機密扱いの飛行機のある施設を通りがかったことを私に教えてくれました。彼はARVについて詳しく描写してくれ、さらにブラッド・ソレンソンが知らなかった内部形態と動作の方法について詳しくつけ加えました。
その後、ブラッドは有名な航空機設計者であるバート・ラットン氏と会い、彼にあなたがたが今見ている青写真のコピーを渡しました。ラットン氏はその写真を冗談だと思い、ジョークとしてそれを壁にかざりました。第三者から後に聞いたのですが、エドワーズ空軍基地のレイ・ウォルシュ中佐がラットン氏の家を訪ねた時、この青写真を見てひどく驚き憤慨したそうです。彼はいったいどこでラットン氏がそれを手に入れたのか知りたがりました。
というのもそのころ1994年か95年にエドワーズ空軍基地の北基地ビルにそのような航空機(戦闘機)が実際に存在したからです。その後私はこの航空機について調査し、空軍が早くは1960年から再高速度マッハ20までの航空機模型試験風洞円盤テストを行ってきたということを示す多くの機密解除文書を見る機会がありました。そしてまたNASAによるよく似た機密解除文書も持っています。これがその再高速度マッハ20までの航空機模型試験用風洞円盤テストについて書かれている書類です(書類を聴衆に見せる)。
そしてこれがさまざまな球状やレンズ状の形の航空機による再高速度マッハ6までの風洞円盤テストが実施されたことについて書かれている機密解除書類です(書類を聴衆に見せる)。ヘラクレス・エアスペースセンターの事務内部メモもその後手に入れました。これにはゼロポイントエネルギーやスカラー波といった特別な科学用語が述べられています。ブラッド・ソレンソンによると、これらが無重力推進技術の元となるということです。
この書類には(聴衆に見せる)ニコラ・テスラによって1900年代の初期に発見された根元的能力付与テクノロジーfundamental enabling technologyについて調査する安全防備諜報庁とロシアの科学学会との6回に及ぶ会合のことが述べられています。とにかく後でより詳細をお話することができます。そしてこれらの出来事とその真実性についての詳細を議会で証言する用意ができています。ありがとうございました。
ダニエル・シーハン
おはようございます。ダニエル・シーハンです。私はディスクロージャー・プロジェクトの顧問弁護士です。1967年にアメリカ政府と憲法の研究を専攻しハーバード大学を卒業しました。その後法廷弁護士として働き、ペンタゴンペーパー事件でのニューヨークタイムズ社の共同弁護士の一人でした。そして連邦最高裁判所でニューヨークタイムズ社が47巻にのぼる機密扱いのペンタゴンペーパーを発行できる許可証を得るための訴訟資料の作成と法廷論争に関わりました。
その後F・リー・ベイリーの事務所で特別弁護士をし、法廷弁護士の一人としてウォーターゲート強盗罪事件でジェームス・マッコード氏を弁護し、マッコード氏に当時のホワイトハウスにおけるウォーターゲート強盗と「プラマー組合」との関係を証明する手紙をセリカ判事に書かせました。この事件の後、私はハーバード大学に戻り、公共政策におけるユダヤ−キリスト教の社会倫理を学ぶために神学部に入りました。そこで修士号と博士号を取得し、ワシントンD.C.のアメリカ合衆国イエズス会本部の顧問弁護士になり、国家社会聖職者事務所の社会政策事務所に配属されました。
そこで勤務中の1977年に、議会研究所の科学技術部門の所長だった、マーシャ・スミスから連絡を受け、彼女と会いました。彼女の話では、カーター大統領は1977年1月の大統領就任の際、当時CIA長官だったジョージ・ブッシュ(元米大統領。現在のブッシュ大統領の父親)と会見し、アメリカ諜報機関が持っている機密扱いのUFOとエイリアンについての情報について要求したところ、ブッシュ長官はそれを断り、その情報についてアクセスするためには機密許可証が必要で、国会研究所(アメリカ下院議院研究所の科学技術部)と接触し、彼らにこの情報の機密解除手続きをしてもらう必要があると大統領に言ったといいます。
DCIは大統領がこの情報をアメリカ国民に公開しようとしていると勘ぐったので、マーシャ・スミスの管理下にある下院議会研究所の科学技術部は、下院議会の科学術委員会から異星人の存在とUFO現象との関係について大規模な調査をするよう依頼をうけたのです。スミス氏は、私のアメリカ合衆国イエズス会と国家社会聖職者オフィスの顧問弁護士としての力量で、バチカン図書館にアクセスし、バチカンが持っている異星人の存在とUFO現象についての情報の入手ができるかどうか試してほしいと頼まれました。
私は国家社会聖職者オフィスの理事であるウイリアム・J・デービス神父の許可を得て、バチカンに許可を願いましたが、アメリカ合衆国イエズス会命令としてバチカン図書館の持っている情報へのアクセスは拒否されました。私がスミス氏にそのことを伝えると、彼女は私にあるプロジェクトに参加するように頼みました。そのプロジェクトに関しては後の質問のコーナーで個人的に詳しく述べるつもりですが、それによって私は国会研究所の国会図書館の特別顧問として、空軍の「ブルーブック・プロジェクト」の機密部分の文書にアクセスすることができました。
1977年の5月だったと思いますが、アメリカ国会図書館のマディソンビルに行く機会あり、その時そこには誰もいませんでした。そのビルは出来たばかりの新しい建物でした。私は地下のオフィスに案内されました。警備員が2人ドアのところにいました。3人目の警備員はテーブルのところに座っていて、私の身分証明書をチェックし、私がアメリカ国会図書館の国会研究所の特別コンサルタントとして任命されていることを確認し、やっと部屋に入ることを許されました。
そこで私は墜落し、雪で埋まった土地に溝を作り、土手にはまっている疑う余地のないUFOの写真を何十枚も見つけました。アメリカ空軍の隊員がこのUFOの近くにいて写真を撮影している写真もありました。その中にはUFOの側面に何らかの記号が写っている写真がありました。そして私はこの記号のクロースアップが写っている写真を見つけました。私はメモを取らないように言われていて、鞄と身分証明書を部屋の外に置いていかなければなりませんでした。しかし私は小さな黄色のメモ帳をしのばせていました。
そこで私はメモ帳を開き、メモ帳の裏表紙の厚紙と同じ大きさにプロジェクターの焦点をあわせ、このUFOの側面の記号をなぞりました。そしてメモ帳を閉じマイクロフィルムを箱に戻してふたをし、「行く時間だ」とつぶやきました。そしてそのメモを持って部屋から出ようとしたら、警備員が私を呼び止めて言いました。「シーハンさん、そこに持っているのは何ですか?」私はメモ帳を手渡し、彼はページをめくりましたが、私が書き写した絵は見つかりませんでした。
そして私はメモ帳をアメリカイエズス会本部に持ち帰りました。スタッフとウイリアム・J・デービス神父とでミーティングを開き、彼らにこのことを報告しました。私はそのころアメリカイエズス会本部からアメリカ教会会議にレポートを作ることを公認されていたので、私は国内の54のすべての主要な宗派に異星人についての研究を引き受けるよう依頼することを要求しましたが、教会会議はそれを拒否しました。その後1977年に私はSETIのジェット機推進力研究所の50人の科学者たちに3時間の非公開のセミナーをするように頼まれ、引き受けました。
私は喜んでアメリカ議会で証言しますし、どんなメディアの人たちとも会見します。その時皆さんは私がカレン・シルクウッド事件の主任弁護士を務め、この件で勝訴したことを思い出されるかもれません。また、私はイラン・コントラ事件でも主任弁護士を務めました。また、私はアメリカ議会で、リチャード・C・コーデンとアルバート・ハッキムの隠された計画の存在について最初に証言した人物です。
私は喜んでこの隠された計画と影の政府についての私の信ずるところの詳しい関係を述べます。彼らがアメリカ国民にUFOについての情報をひた隠しにしているのです。私はディスクロージャープロジェクトの顧問弁護士であることに満足しており、とても誇りに思っています。ありがとうございました。(拍手)
キャロル・ローゼン
おはようございます、私は キャロル・ローゼンといいます。1974年に小学6年生担任の教師を務めた後、アメリカのロケットの父である故ワーナー・フォン・ブラウン氏を紹介されました。最初に会った時、最初の3時間半のうちに彼は私に言いました。「キャロル、君たちは宇宙兵器の使用を中止するよ」と。そして私が「冗談はおやめになって」と言うと、彼は「違うんだ。わかってくれ。今は2月だ。宇宙兵器の使用を止めなきゃいかん。その背後には嘘が隠されているからだ。最初のうわべ上の宇宙兵器使用の目的は悪の帝国ロシアだ。」「それ以外にもたくさんの敵がいるんだ。
そしてその架空の敵に対して宇宙に基地を持つ兵器システムを作るんだよ」と言いました。 最初の敵はロシアだ、と彼は言うのです。そして次の敵はテロリスト、そしてその次は第3世界の国々、現在私たちが呼ぶところの劣等な国々や問題を抱える国々。そして次は小惑星。そして彼は次から次へと続けました。そして最後のくじ、そしてそのまた最後のくじ、そして最後は異星人からの脅迫なのだと。ですが、私は彼が小惑星とか異星人と言った時、それをまじめに取りませんでした。というのもその問題に自分が関わることになるとは思っていなかったからです。そして今まさに、彼らが次の敵を持ち出したことをニュースが伝えています。
言い換えれば、1兆ドルにものぼるお金を使い、その莫大なお金を宇宙基地の兵器システムに浪費するには何らかの理由がなければならないのです。ところがそんな理由はすべて嘘です。「これは誰をも守ることのない防衛システムなんだ」フォン・ブラウン博士は言いました。そのころでさえ、彼は宇宙兵器の対象とはならないはずのスーツケース爆弾や化学兵器、生物兵器について話していました。そして彼は私に、もし世界旅行すれば(彼が亡くなってから実際1977年に旅行したのですが)、、、100ヶ国以上で友人たちに会うだろうと言いました。彼らは敵ではありません。
彼らは宇宙兵器なんて作りたがっていません。私は宇宙防衛ミサイルコンサルタントになり、世界中の人々と働く機会がありました。私は中国の人々へのアドバイザーになりました。彼らは宇宙兵器システムを建設したがっていません。そしてフォン・ブラウン博士は当時からそのように言っていました。彼は「ロシアに行くんだって? 彼らは私たちの敵だと思われているんだよ」私は一人で飛行機に乗りました。ロシアに着くと、新聞で読んだ人々のリストがありました。当時チェルネンコ氏が書記長でした。チェルネンコ書記長がそのリストの中で私が会えなかった唯一の人です。
ロシアの人々は私を皆に紹介してくれました。アメリカに帰ってから、「フォン・ブラウン博士が言っていたのは嘘じゃなかったんだ。ロシアからの脅威なんてなかったんだ」と思いました。そして27年間、私は今日のこの日を待っていました。私は混乱が起こるのを待っています。というのもフォン・ブラウン博士は軍の戦略家、そしてMXミサイルの研究家として(後に私も研究家になりました)私に説明したからです。「私たちは宇宙兵器を使う敵を探す口実を待っているんだ」と彼は言いました。
「今私たちは口実となる混乱を期待するべきだ。なぜなら、諜報機関の公式はこういうものだからだ:彼ら(敵)は兵器を所有しているかもしれない。だから私たちは彼らがこれらの兵器を所持しているという風に想定しなければならない。彼らが兵器を所持しているので、私たちもそれに対抗する兵器システムを建設しなければならない」 この公式は、すべて嘘によってなりたっています。今日異星人とその乗り物は地球を訪問していて、それはもはやUFO(未確認飛行物体)ではなく、確認されている飛行物体で、生物が乗っていたという証言がされました。
そしてここにいる証人たちは、彼らが私たちのミサイルの地下格納室を遮断することができ、ロケットが宇宙に飛ぶのを止めることができると言いました。私たちにはフォン・ブラウン博士が1974年から1977年にかけて私に言ったことを支持することができる機密扱部署で働き、今日ここに来る勇気のあった証人たちがいるのです。私は「宇宙安全保障協同協会」を設立した時言ったことを議会で証言します。私はこの協会がこのように巨大で世界中に根をはった複雑な兵器システム、軍事産業を、グリア博士の述べたような恩恵を与える宇宙産業に転換させることができるとは思えなかったので、数年前に解散しました。
地球の温暖化についても、私たちはこの問題に終止符を打つことができ、エネルギー危機を防ぐことができ、環境汚染のない技術を作り上げることができるのです。ワーナー・フォン・ブラウンは当時から、私たちはすでに宙に浮く車を作ることができると言っていました。彼は、その車は光線(ビーム)で動くのでこの地球から環境汚染をなくすことができるのだと私に言いました。人間と動物が抱える緊急で潜在的な問題と、地球と宇宙における他の文明の問題を解決することができるのです。
ワーナー・フォン・ブラウンが私に言ったように、産業を失うことなく、人々から職を奪いとることなく、また経済への影響なしに、軍事産業を世界規模の宇宙産業へと転換させることができるのです。それが最終的にどんな戦争や冷戦時よりもより多くの雇用と利益をこの地球にもたらし、この惑星の抱える問題に直接的に適用できる製品やサービスを供給するようになるのです。地球上のすべての文化、民族がこの地球で平和に暮らすことができ、すべての異星人文化が他の宇宙の星で平和に暮らすことができるのです。これらはワーナー・フォン・ブラウンが1974年に私に語った言葉で、私は今言ったことすべてとそれ以上のことを議会で証言します。ありがとうございました。(拍手)
締めの言葉 スティーブン・グリア博士
どうもありがとうございました。証言者の皆さんとあなたがたの忍耐強さに感謝します。予定を50分ほど遅れていて申し訳ありません。強調したいのは目撃者が見たことをすべて話すには2時間から5時間ほどかかるということです。今はそのスナップ写真をお見せしようとしているだけです。私たちには他に400人もの目撃者たちがいます。私はこの重荷を8年間抱えてきましたが、今、事を進めていくためにアメリカ国民、そして世界中の皆さんと分かち合っているのです。それではマスコミの皆さんからの質問を受け付けたいと思います。あなたがたの判断で、私に対する質問でも、他の目撃者に対する質問でも結構です。
ナショナルプレスクラブ目撃者証言の終わり 質問と応答
スティーブン・グリア博士 「はい、そこの女性。」
「ファーマ・メキシコ新聞です。質問が3つあります。一つ目はこのような秘密を何らかの形で保護する法律がこの国にはあるのでしょうか。そして2つ目は法律を変える必要があるのでしょうか。そして3つ目はエネルギー危機の解決策を秘密にすることによって誰が利益を得ているのですか。」
グリア博士「時間がないので手短にさせてもらいます。発端は1940年代のトルーマン政権時代とアイゼンハワー政権時代に合法的な国家安全保障組織が配置されていたと思います。現在でも弁護士をなさっているスティーブン・ラブキン准将が、アイゼンハワー政権時代の終わりにこれらのプロジェクトのコントロールが失われたと証言しました。主な理由は軍事産業複合体、諜報部員用語では「産業」の細分化によるということです。SAIC社、ロッキード・マーチン社、ノースロップ社など、UFOに関連する発達したエネルギー推進力システムを特に扱う企業があります。
8年に渡って会見してきたインサイダーたちの話から私が考えられることは、私たちは憲法の立場からのコントロールを失ったということです。軍事諜報機関と企業の設備基盤は潤沢な資金を受け、とても複雑な迷宮のようで、閉ざされ、細分化された中にまた小さな区分があり、そのまた区分があるといった状態だからです。そして議会のメンバーで照会を求めた人々、先程の証言で皆さんが聞いたカーター大統領がアクセスを拒否されたように、実際クリントン大統領が照会を求めた時、アクセスを否定されました。
他の質問について言いますが、現状から利益を得ることに関して言えば「石油」です。化石燃料の決定的な転換をよく思わない地政学的なそして金融界の勢力が存在します。私は原子力発電所をイオン化する化石燃料の完全な代替物がすでに存在していることを、公に出てくる準備が整っている科学者たちと協力して証明することができます。化石燃料はもう必要ないですし、おそらく私が生まれて以来必要なかったのです。もちろんこれは重要な問題です。私たちは何兆ドルもの世界規模の社会基盤の転換について述べているのですから。
これは国家安全保障会議の経済分野に警鐘を鳴らすものです。しかしこれよりもっと国家安全保障にとって危険なのは現状を維持することであり、地球規模の生態系の崩壊に突進することなのです。そして化石燃料不足によって、カリフォルニアだけではなく世界規模の停電が起こることなのです。私たちはこのことについて何かしなければなりませんし、そのために議会で開かれた公聴会をするように運動しているのです。他のメディアの方、お願いします。」
(プレスのメンバー)「国連はこのことに注目していますか?」
グリア博士「私は元国連事務総長のブトロス・ブトロスガリの奥さんに個人的に会いました。彼女が言うには、ガリ氏はとても心配していたそうです。1990年代のことでした。それ以来国連の何人かの人々が照会を求めたのを知っています。問題は、国連はこれに関して命令権がないということです。国連の加盟国から命令権を与えなければならないのです。そして一般の人々と加盟国が国連に対してこの問題に関与することを要求する必要があると思います。これは国際平和と安全保障に関する課題なので、国連常任理事国よって取り上げられる必要があり、もちろん私たちもそれを勧めています。」
(プレスのメンバー)「クリフォード・ストーン氏への質問です。あなたは墜落したUFOに乗っていたエイリアンを見たとおっしゃいましたが、彼らはどのような姿形だったか描写してもらえますか。」
クリフォード・ストーン「描写できますが、それにはおそらくかなりの時間が必要になります。なぜかというと、私が1989年に退役した時にすでに57種類の異星人が目録に載っていたからです。その中のある種は、多少の違いを除けば、道を歩いていてもたぶん私やあなたがたと区別がつかないほど似ています。違いというのは、彼らは真っ暗な部屋を平気で歩くことができ、そしてその中で物に触っただけで、その物体の色がわかるということです。臭覚と視角と聴覚が非常に優れています。
またあなたがたがグレイと呼ぶエイリアンには色々なタイプがあります。軍では彼らをグレイとは呼びませんでしたが、少なくとも3種類のグレイが存在します。私たちよりもっと背の高いものもいます。ここで指摘したいことは、私たちが目録にした異星人の大半はヒューマノイドだということです。科学者たちにはなぜそうなのかを研究する機会ができました。というのも、他の惑星で生命が進化するとヒューマノイドや私たちのように2足動物ではなく、他の生物の形を取るのではないかと推測しがちだからです。明らかに宇宙にはヒューマノイド型の異星人がかなりいるということです。そしてそれが科学者にとっての問題となります。」
グリア博士「呼ばれた人はどこのマスコミに所属しているのかを言ってください。」
ジーン (ユナイテッドプレス・インターナショナル)「航空機を見せてもらえますか?先程絵を見せてもらった、、、なぜ航空ショーでこの機が展示されていたのですか? これからとても有益になるとあなたがたが主張する動力の源とはなんですか? そしてこの航空機は政府によって独自に開発されたものではないとどうしてわかるのですか?」
グリア博士「エイリアン複製航空機(宇宙船)という証言があったと思います。正確に言うと、これは非常に高度な反重力、ゼロポイント・エネルギーを用いた推進力システムによって作動するということです。この推進力システムはロッキード・マーティン社やノースロップ社、SAIC社や他の複合会社によって開発されたものです。 エイリアン複製航空機(宇宙船)は超光速能力を保持しています。つまり、光より速い速度で飛ぶことができるということです。マッカンディッシュ氏や彼が触れた他の証人たちが科学技術に関してより詳しく説明できると思います。
私はバージニアの田舎の一医師なので、、、エイリアン複製航空機(宇宙船)と呼ばれるのは、異星人宇宙船の研究に基づいて、軍の諜報機関と航空宇宙開発請負企業との協力によって生産されたものだからです。これはとても重要なことです。なぜなら私たち人間はいわゆるゼロポイントフィールド・エネルギーにアクセスできることを示しているからです。ゼロポイントフィールド・エネルギーとは場全体のエネルギー場のことで、そこから存在あらゆるものとエネルギーが流動的に、化石燃料や環境汚染なしにこの惑星を運営できるすべての動力を発生させることができるものです。」
ジーン (ユナイテッドプレス・インターナショナル)「あなたがたには直接的な証拠があるのですか、というのも私たちはとても適切に特別プログラム“carnivore”と名付けられたのと同じ政府のことを言っているのですから。単にそれがエイリアン複製航空機(宇宙船)と呼ばれているから言って、UFOについて長い間の歴史と疑問が存在してきたことを考えると、、、これが実際にその技術に由来するものだということを信じさせる直接的な理由があるのですか。そして証人たちはそれについて立証するのですか。ロケットエンジンを必ずしも電気に翻訳する必要はありません。もう少し詳しく説明してもらえますか。」
グリア博士「最初の質問については、目撃者の証言があります。何人かはここにおり、他の人々は報告書には載っていてここにはいませんが、彼らは特別に回収された異星人航空機を研究していたのです。その研究の目覚ましい発見がエイリアン複製航空機(宇宙船)や他の反重力装置の製造につながっていったのです。これは議会の公開公聴会で証明できます。これが私たちの目的です。私たちはそれを立証するとができ、証人たちは資料と推進力システムについての特別で詳細な知識を持っています。
これはジェット機内部燃焼システムではありません。実際にあるタイプの電源によってスイッチが入りますが、その後はそれがこの存在するあらゆる物質とエネルギーを含むゼロポイントエネルギー場にアクセスするのです。そして特別な相関関係によって慣性を消滅させ、反重力効果を生み出すのです。これは非常に複雑で専門的なテーマなので、おそらくこの会見の範囲外になります。
しかし早くも1950年代から反重力効果を研究してきた人々に言及しながら、報告書の中の資料をお見せすることができます。ある証人は、彼の家族がランド・コーポレーション社と関係があり、1950年代の半ばから反重力進力システムにマンハッタン・プロジェクトよりも多くのお金が使われてきたと述べています。ですからこれらの点を立証することができます。次の質問をお願いします。 」
マレー・フィッシャー「ありがとうございます。私はマレー・フィッシャーです。下の階で、宇宙からの地球の偵察と監視を扱った「ワシントン遠隔感知レター」という広報紙を発行しています。1972年以来、LAN Sat1の打ち上げと現在商業用の宇宙映像衛星の打ち上げによる記録が残されており、おそらく3500万枚ぐらいの宇宙から撮影した地球の写真があります。ですが、その中にUFOの写っている写真は一枚もありません。それらはすべて修正用ブラシで消されてきたというのですか?」
グリア博士「私たちが述べているのは、政府が運営する衛星以外の衛星の情報が一般の人々に渡る以前にこのタイプの証拠を隠滅させる細分化されたシステムがあるということです。ここにいる、防衛諜報機関で働いていたメイナード氏、そしてハーレ氏や他の人々の証言がそれを実証すると思います。そのような証拠隠滅プロジェクトに関わってきた他の証人もいます。完璧な調査をすれば見落とされて証拠が隠滅されなかった何枚かの写真が見つかるかもしれません。私たちには目録に載った何百万枚もの写真の中からそれらを探し出す調査資金がありませんでしたが、これらの証拠が徹底的に隠滅されてきたことは知っています。
何十億ドルもの私たちの税金が使われるこれらの秘密のプログラムが効果的に隠蔽され続けることができるほどに一般市民はナイーブであってはなりません。これはメディアと一般大衆との間の一つの神話の類いです。私たちはそのようなことがあるはずがない社会に住んでいるというポリー・アンナ(手に負えないほど陽気な楽観主義者)神話のようなものです。しかし実際、それは行われてきており、私たちはそれが事実だということを証明できます。」
(プレスメンバー)「証人の審査の過程について知りたいのですが。それについて説明してもらえますか。」
グリア博士「私たちは、目撃者たちが本当の善意の持ち主で、真実を語っているということにとても満足しています。400人のうちの、、、この20倍もの人々と関わっています。だまされたことはあるかですって? ええ、私は緊急病棟の医師です。つまりこういうことです。人々は担架の上で痛みにもがきながら緊急病棟に運ばれてきます。たとえば腎臓結石で。中にはトイレに行って自分の指を切り、尿検査のカップに血を混じらせ尿に血が入っていると見せかけ、麻酔薬の注射を受けようとする人もいます。
緊急病棟医師としてだまされたことがあるかって? いいえ、私にはだまされたことがわかるぐらいの頭はあります。時折は? 可能はあります。ではしばしばだまされているでしょうか? いいえ。大切なのは、1回か2回だまされたからといって、痛みで来るすべての患者を嘘をついていると決めてかかって治療しなかったり受け入れなかったりすることはないということです。この分野ではだましの例はたくさんあります。しかし、すべてがそうであることを意味しません。
私たちが述べているのは、大量の調査の結果、資料と、最高機密の目撃者たちと、これが真実であると国会で証言する内部関係者(インサイダー)たちを見つけたということです。もう一つ重要な点は、目撃者たちのうちの何人か、シーハン氏と私、そして2人の弁護士は国から資格を受けた職業に就いています。つまり、もし私たちが虚偽の行為をしているのが発覚すれば、医師としてまた弁護士としての資格を失うのです。私たちは公共の場で人々をかついでいることになるのです。
あなたがたの目前にいる人々は信用のおける人々で、他の証人たちも私たちが信用できると見極めた人々です。確かに私たちはCIAではありませんし、5万ドルものお金をかけて個々の身元調査をすることはできません。しかし私たちはとても慎重に面接をしてきました。これらの人々はDD214票(安全防備票)や、彼らがある一定の時期にある場所で軍に所属していたという証拠になる書類を私たちに提示しました。私たちは証言の重みが今日勝利を得たことに満足しています。これは真実なのです。」
ジョン・サイファー「私にはその質問に関連してあることを申し上げたい。世界中で何千ものUFOの目撃事件が起こっています。その中でただ一件だけが真実であればいいのです。なぜならその一件の真実によってすべての件が真実ではないという事実が崩壊するからです。」(拍手)
(ここでテープ中断)
グリア博士「…署名されたあらゆる契約とそれから派生したものは、すべて法律上無効なのです。つまり、法理論上で言えば、不法(非合法)な事業の結果なされた契約は法律上の地位がないのです。今日この会見を聞いている人々は自由に話をしていいということを私は申し上げたい。私たちはこの話題に関する国家安全保障上の誓約は法律上無効であると宣言します。それらは不法な事業から派生したもので、憲法上何の地位もありません。私の母の家族は、アメリカ独立革命でイギリスと戦い、捕虜になりました。
彼らはこの国を設立するのを援助しました。彼らはこのようなごまかしが押し通されるためにこの国のために戦って死んだのではありません。人々は自由に話すことができます。証言者に対して法律上の効力は及びません。私たちにはこの説を支持する弁護士がいますし、他の憲法学者もいます。今こそゲームを終了させる時なのです。人類にとって新しい時代の幕開けの時なのです。」
質問と応答終了
グリア博士のインタビュー
グリア博士「私たちはこのことが起こってきたということを事実として知っています。私は個人的にクリントン政権時のCI A長官に会って話をしました。彼はUFOが存在するという事実は知っているけれども、これらのプロジェクトには全くアクセスできないと言いました。1994年にそれと同じことを上院歳出委員会の調査員長だったニック・ダマト氏が私に言いました。彼は大体年間400から800億ドルものお金がこれらの機密プロジェクトに使われていると言いました。
彼はトップシークレット許可証を持っていてもこの機密プロジェクトの内部にアクセスできませんでした。彼はこれが闇のプロジェクトの内で彼が発見した最初のことだと私に言いました。ですからこれはとても重要なことで、そこから問題が生じます。もし私たちが、アイゼンハワー大統領が「軍産業複合体に注意せよ。彼らは私たちの民主主義のチェック・アンド・バランスから逃れることができるからだ」と警告されたとおりの道を歩んできたのなら――この問題についてはそうであったと私は思いますが――議会は今こそこの問題に関して人民を代表し、これらのプロジェクトの監視を再主張する必要があります。」
プレスのメンバー「最後の質問です。チェック・アンド・バランスを取り戻すとおっしゃいましたが、証言者の方々はどれほど自信をお持ちですか?」
グリア博士「証言者たちは彼らが見たものが何であるか知っています。彼らは空軍、NRO(National Reconassance Organization 国家偵察組織) 職員、CIAと契約していた人々、そしてTVキャスター、トム・ブローカーが「偉大な世代」と呼ぶ、わが国の英雄である第二次世界大戦のパイロットにまで及びます。私が言いたいのは、彼らは自分が目撃したのが何であるかを知っているということです。彼らは自分たちが直接見たもの以外のことは話しません。私たちは曖昧模糊とした現象について語っているのではなく、実際に地球外飛行物体を回収した人たちについて述べているのです。」
キャロル・ローゼンのインタビュー
「彼らは誰一人として敵意を持っていません。エイリアンたちはミサイル格納庫を遮断できることを私たちに示してきました。彼らは何千年もの間地球を訪れているのです。」
プレスのメンバー「いわゆるエイリアン誘拐事件の特別養成プログラムspecial breeding programsについてはどうですか。」
キャロル・ローゼン「私たちは私たちが知っていることを扱っているのです。私たちが知っているのは彼ら(エイリアン)には敵意がないということです。どうやって説明していいかわかりませんが、一つ例外があります。彼らは彼らの技術で何ができるのかを私たちに示したのです。想像できますか、技術を通して、文字どおり苦難から人々を救うことができる、ですからここで私たちが扱っているのは具体的な証拠なのです。」
情報源 http://ettechnology.web.fc2.com/video.htm
2012年03月12日
2012年02月16日
THRIVE 世界支配の構造をさらし出す
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2011年09月02日
文明は、勃興し、堕落し、死滅する

文明は、勃興し、堕落し、死滅する。時間というものは、古代ギリシャ人達が論じていた通り、個人にとっても、国家にとっても、循環的だ。社会がより複雑になると、社会は必然的に一層不安定となる。社会は益々脆弱になる。そして、社会が崩壊し始めると、おびえて、混乱した国民は、現実から奇妙な逃避をして、自明の脆弱さや、迫り来る崩壊を認めることができなくなってしまう。終末時のエリートは、現実とは関連のない言葉や専門用語で話すようになる。
彼等は、ベルサイユや、紫禁城の宮殿なり、あるいは現代の宮殿のような私有地なり、隔離された屋敷に逃避する。エリートは、歯止めの利かない快楽主義や膨大な富の蓄積と浪費にふけるのだ。益々激化する獰猛さで、抑圧されている大衆の苦悩などに、連中は耳を貸さない。資源は一層容赦なく、枯渇するまで使い尽くされる。そして、最後に、空洞化した殿堂が崩壊する。ローマ帝国もシュメール帝国もこうして滅びた。マヤのエリート達は、森林を伐採し、川を沈泥や酸で汚染した後、未開状態に後退し、逃避した。
食糧と水の不足が世界中に広がり、中東、アフリカ、ヨーロッパで、悪化する貧困と窮状が街頭抗議デモをひき起こす中、エリートはあらゆるエリートが行うことを実行している。連中はさらなる戦争をしかけ、自分たちの為により巨大なモニュメントを建造し、自国民をどっぷり借金漬けにし、こうしたすべてが崩壊する中、連中は労働者と貧乏人に背負わせ、八つ当たりするのだ。40兆ドルという膨大な富を消滅させた、世界経済の崩壊は、アメリカのエリート達が、アメリカの製造基盤を破壊し、莫大な量の詐欺的な不動産担保証券を、年金基金、個人投資家、銀行、大学、国や外国政府や株主に売りつけた後でひき起こされた。
エリート連中は、彼等の損失補填の為に、投機を再開しようとして、国庫を略奪した。連中はまた、緊縮財政という名目で、基本的な社会福祉を取り壊し始め、労働組合最後の痕跡も破壊に着手し、仕事の口を大幅に削減し、賃金を凍結し、何百万人もの人々を家から追い出し、失業者やパート雇用者という永久底辺層を生み出しながら拱手傍観している。
最後には、マヤのエリートは、人類学者のロナルド・ライトが“A Short History of Progress(「進歩小史」)”で書いているように“… 過激派や超保守派となり、自然と人類から、利益の最後の一滴を搾り取った。”我々自身の文明を含め、全ての文明は、このようにして、硬化し、死ぬのだ。差し迫った死の印は否定すべくもなさそうだ。常識が、新たな根本的対応を強く要求しても良いはずだ。
しかし、自滅へと向かう競争は、知的、道徳的麻痺のおかげで、加速するばかり。ジークムント・フロイトが、“快楽原則の彼岸”や“文明への不満”で洞察した通り、人間社会は、性的満足の探求に夢中になり、目がくらんだまま、死と破壊へとまっしぐらだ。
中東での騒乱、アイルランドやギリシャ等の国々における国家経済の内部崩壊、アメリカ国内で、つのりつつある怒り、困窮する国外の労働者階級、必死の移住が増加していること、生命がそれに依存している生態系を、容赦ない破壊を人間が止めようとしないこと等は、アメリカ自体の崩壊と、アメリカのエリートの馬鹿さ加減と、グローバリゼーションの愚かさによる結果の兆しだ。
不可避の事態を、未然に防げるのは、帝国と法人国家の迅速な廃絶を含む、アメリカ社会の完全な再構築を中心に築かれた抗議活動しかない。より良い条件を求めて交渉するのではなく、アメリカの腐敗したエリートを権力の座から排除することを目指す、新たな、何者をも恐れない根本的変革主義の誕生によってのみ、我々は救われるだろう。
グローバル経済は、人間の強欲さを見抜ける市場が、人々の行動を決定すべきであり、経済は永遠に拡大が可能なのだという、誤った信念の上に構築されている。膨大な二酸化炭素を放出しても、深刻な影響をひき起こすことなしに、生態系をボロボロにし続けることが可能だという想定の下でこそ、グローバリズムは機能する。
そして、グローバルな経済拡大のエンジンは、豊富で安い石油が常に存在するという保証に基づいている。人間の本性や自然界に関する単純な真実に直面することができないエリートが、新たな社会的、経済的、政治的パラダイムをまとめることなど不可能だ。彼等は、死につつあるシステムを永続させようとつとめているに過ぎない。
グローバリゼーションというのは、金儲けの為に、国民を奴隷に、自然界を荒廃地に変える為に、過去のエリート達が使ってきた、古代イデオロギーの現代版表現なのだ。こうしたエリート連中にとって、神聖なものなど皆無なのだ。人類も自然界も、枯渇するか、崩壊するまで搾取されるのだ。エリートは、公益を守ろうという素振りさえ見せない。グローバリゼーションというのは、要するに、理性的思考の敗北であり、人道主義の死だ。
自滅に向かう行進は、既に海洋の大型魚類の90パーセントを滅ぼし、地球の肺ともいうべき、成長した熱帯林の半分を壊滅させた。この勢いで行くと、2030年までには、地球の熱帯林は、わずか10パーセントしか残らない。汚染した水によって、地球上で、毎日25,000人が亡くなり、栄養不良によって、毎年約2000万人の子供が健康を損なっている。空気中の二酸化炭素は、現在、350 ppmを越えており、大半の気候学者は、これは我々が知っている生命を維持するための最大レベルだと警告している。
[編者注: 上記の文章は、記事がここに初めて発表された後、改訂されている。] 気候変動に関する政府間パネルは、2100年までに、測定値が、541から970 ppmにまで至る可能性があると推測している。現時点で、地球の膨大な部分が、人口過剰、干ばつ、土壌の浸食、異常な暴風、穀物の大凶作や、海面上昇に悩まされており、人類の生存には適さなくなるだろう。
ジャレド・ダイアモンドは、エッセイ“最後のアメリカ人”で、エルナンド・コルテスが、ユカタン半島に到着した頃には、数百万人のマヤ臣民が消滅していたと書いている。
“一体なぜか”ダイアモンドは書いている“王侯貴族は、こうした問題に気がつかず、解決しなかったのだろうか? 一つの主要な理由は、自分たちが金持ちになること、戦争をしかけること、モニュメントの建造、お互いの競い合い、そして、こうした活動支える為、農民から充分な食糧を取り立てること、といった短期的な関心事に彼等の注意が明らかに集中していたことだ。”
“石油を汲み出し、木を切り倒し、魚を捕ることは、それで金や権威が得られるエリートにとっては利益になっても、長期的には、(エリートの師弟を含めた) 社会全体にとっては良くないのだ”ダイアモンドは更に続ける。“マヤの王達は、庶民や次世代の幸福よりも、自分達の権威(より多くのより巨大な寺院が必要だ)やら、次の戦争での勝利(より多数の支持者が必要だ)といった、目先の関心に夢中だった。
現在、我々の社会において、政治判断上で最大の権力を持った連中は、通常、社会全体にとっても、彼等自身の子供達にとっても良くない可能性がある行為を通して金を儲けている。こうした政策決定者の中には、エンロン社幹部、多数の地開発業者や、金持ち減税論賛成論者が含まれる。”
イースター島も全く同じだった。五世紀、166平方キロの島に初めて住民達が定住した際には、豊富な淡水と樫の大きさにまで成長するチリ・ヤシが生い茂る森林があった。魚、アザラシ、イルカやカメなどの水産物や、巣をつくる海鳥も豊富だった。貴族、僧侶と庶民という精巧なカースト制度でわかれていた、イースター島の社会は、5あるいは6世紀の間に人口は約10,000人に膨れ上がった。天然資源はむさぼり尽くされ、消滅し始めた。
“作物栽培のための森林伐採によって、人口は増大することになったものの、土壌浸食と、肥沃度の低下を招いた”と、ポール・バーンと、ジョン・フレンリーが“イースター島、地球島”の中で書いている。“次第により広大な土地を切り開かねばならなくなった。高木も低木も、カヌー造り、薪、家造りや、像の運搬と建立に必要な材木とロープ用に切り倒されることになった。ヤシ果実は食糧にされ、ヤシ再生は低減した。食料として持ち込まれたネズミも、ヤシ果実を餌に、急速に繁殖し、ヤシの再生を完全に妨げた。
豊富な海鳥資源の乱獲により、沖合の小島を除き、海鳥資源は完全な絶滅に至ったろう。卵を食べることによって、ネズミがこの過程を助長した可能性もある。漁業、海鳥やネズミによって実現された豊富な食糧が、最初の急速な人口増大を促進した。無制限な人口増大によって、後に土地取得への圧力が高まり、紛争を、そして最終的には戦争を招いた。材木とロープがもはや得られなくなると、それ以上の像を彫刻するのは無意味となった。
住民達の要求に応えてくれるはずの巨像信仰の効能に対する幻滅によって、この狂信的な宗教を放棄するに至った可能性もある。不十分なカヌーのため、漁業は沿岸と岸辺の海に限定され、タンパク質の供給は更に乏しくなった。その結果として、大飢饉、戦争や、経済全体の崩壊、著しい人口減少となったのだろう。”
イースター島文明の後期には、各部族は益々巨大な切り出した石像を建立して、先祖を讃える為に競争したが、それは島の材木、ロープや人的資源の最後の残りを必要とするものだった。1400年までに森は消失した。土壌は浸食され、海へと流された。島民達は古い材木を巡って争いはじめ、飼い犬を、そして間もなく、巣を作る鳥を、全て食い尽くすまでに落ちぶれた。
自暴自棄になった島民達は、建立した石の神々モアイには生命がやどり、自分たちを災厄から救ってくれるのだという信仰体系を作り上げた。こうした呪術への最後の逃避は、最終局面に陥ったあらゆる社会の特徴だ。これは、制御不能と絶望と無力さに対する、死に物狂いの反応なのだ。
こうした呪術への絶望的な逃避から、チェロキー族の亡霊の踊り、ペルーでの、スペイン人侵略者に対する、絶望的なタキ・オンコイの反乱や、1530年代のアステカ族の予言がもたらされた。文明は、最期の瞬間には、受け入れるには余りに暗くなってしまった現実を前にして、現実からの完全な断絶を信奉する。
聖書には書かれていない携挙、つまり、この世の終わりに、キリストが天から再臨する際、キリスト教徒は不死の体となり、裸で天へと浮揚しキリストに会うという福音派キリスト教徒による信仰は、地球温暖化や、進化論を否定することを可能にする、正しい人々は全員救われるという不条理な考え方同様に、空想的だ。道徳的に中立で、人類の熱望に役立つ科学技術が、世界を丸ごと造りなおしてくれるのだという信念も、同様に妄想的だ。世俗面でも、宗教においても、こうした呪術思考に我々は祈りをささげている。
我々は、過去の欠点から何とかまぬかれているだろうと考えている。我々は、先人たちよりもより賢明で、偉大だと確信している。我々は必ずや救済されるのだと、我々は素朴にも信じている。特に、事態が悪化する中で、こうした偽りの希望を提供する連中は、我々からの、お世辞や称賛を享受する。アメリカ合州国に暮らす、世界人口のわずか5パーセントの我々が、世界のエネルギーの25パーセントを浪費する消費水準を維持するという権利など神から授かってはいないのだと、もしも誰かが言おうとすれば、アメリカ人は激怒する。
そのような消費は恐らく良くないことだろうと、ジミー・カーター大統領が提言した所、彼は全国的なあざけりの的になった。事態が悪化すればするほど、人は架空の明るい話を一層欲しがるのだ。空想やら自己欺まんを提供するのが商売の連中は、連中が私たち国民を、政治的に従順することができるゆえに、大企業や寡頭政治勢力から潤沢な資金援助を得て、勢いづいている。そして、最後には、その多くが共和党大統領指名を受けようと行列しているかに見える愚か者や精神錯乱者連中によって、我々は崖から嬉々として飛び下りさせられるだろう。
“ちっぽけな孤島における300年前の出来事が、世界全体に対して、何らかの意義があるのだろうか?”バーンとフレンリーは問うている。“我々は、あると考えている。イースター島は、地球全体のモデルとなる小宇宙だったと我々は考えている。地球同様、イースター島は、孤立したシステムだった。島の住民は、他の全ての土地は海面下に沈んでしまっていて、自分たちが地球上で唯一の生存者だと信じていたのだ。
無制限の人口増加、資源の浪費、環境破壊と、将来面倒を見てくれるはずだという自分達の宗教への限りない確信を許容するという実験を、私達の為に彼等が行ってくれたのだ。その結果、生態学的災害から、集団的消滅に至ったのだ。... この実験を大規模で繰り返す必要があるだろうか? 我々は、ヘンリー・フォードの様にひねくれて、‘歴史などたわごとだ’と言うしかないのだろうか? イースター島史の教訓に学び、その教訓を我々が暮らす地球島に適用する方がより賢明ではなかろうか?”
こうした搾取と崩壊のサイクルを繰り返すべく、人類はのろわれているもののようだ。そして、荒廃の程度がひどくなればなるほど、周囲で一体何が起きているのかを、益々理解できなくなってゆくのだ。
人間の愚行と、人間の傲慢さの産物が、地球上に散乱する。この瞬間が、およそ5,000年前に始まった定住文明生活という、この惨めなだしもの自体の大団円のように見えるのだが、生物の種として、我々は、我々自身も、社会も、絶滅に向かって、駆り立てるよう運命づけられているもののようだ。地球上には、もはや奪うべきものは何も残されていない。森林、化石燃料、空気や水を含む、自然資本の、最後の残物を、我々は今食いつぶしている。
今度我々が滅亡する際は、地球規模になるだろう。略奪できる新たな土地はもはや存在せず、搾取すべき新たな人々も存在しない。時間と空間の制限を消しさった技術が、この地球村を地球規模の死を招く落とし穴へと変えたのだ。イースター島の運命は、地球という巨大な規模で示されることになろう。
情報源は
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-286f.html
2011年08月06日
孤高の鷲 ― リンドバーグ第二次大戦参戦記 アメリカ軍の日本兵に対する残虐行為に関する記述

『 孤高の鷲 ― リンドバーグ第二次大戦参戦記 <下> 』
チャールズ・A・リンドバーグ
(学習研究社刊 翻訳:新庄哲夫)
原著『The Wartime Journals of Charles A. Lindbergh』
http://blogs.yahoo.co.jp/furainngutaigaasu/19976434.html
(396ページ8行目)
無論、このような事が行われているのを、自分は知っていた。しかし、よしんばそれが第三者の撮影した写真を見て得た知識であっても、自らその現場に立ち、この眼で見、この耳で聴き、五感で感じた場合とはわけが違う。一種、異様な困惑が襲ってきた。以前にかかる困難を覚えたのはどこでだったろうか。南太平洋でか。そうとも、ビアク島の洞窟で日本兵の遺体が腐りかけるのを見掛けたときだ、爆撃跡の穴に埋まる日本兵の遺体の上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ緑色を呈する日本兵の頭蓋骨が飾り付けてあるのを見掛けたときだ。
かりそめにも人間が―文明人が、かかる次元まで堕落できるとは考えられないことのような気がする。にもかかわらず、彼らは現実にこうして堕落したのである、ここドイツのキャンプ・ドラにおいて、またかのビアク島の洞窟において。しかも、ビアク島ではわれわれアメリカ人がそれをやってのけたのである、それとは異なる価値のために立ち上ったと主張するわれわれが、だ。
ドイツ人はユダヤ人の扱い方で人間性を汚《けが》したと主張するわれわれアメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのである。「やつらは本当に獣以下だ。どいつもこいつも皆殺しにすべきだ」。耳に胼胝《たこ》ができるほど南太平洋のアメリカ軍将校から開かされた台詞《せりふ》だ!「何故、兄弟の目にある塵を見て、おのが日にある梁木《うつばり》を認めぬか」
私はポーランド少年を見やった。このような飢餓状態をどこで見たろうか。それも、ビアク島においてだ。原住民の操るカヌーの光景が記憶に甦《よみがえ》ってきた―われわれのキャンプ近くの岸辺に向ってゆっくりと漕ぎながら、半裸体の武装した原住民に護送される日本軍の捕虜たちだ。列の後尾にいた若干名は歩行できないほど飢えており、このポーランド少年より瘡せ細っていた。
勿論、ドイツ人が捕虜収容所でポーランド少年を飢えさせたように、アメリカ人が日本人を飢えさせたわけではない。われわれがあまりにも文明化″し、手際が良すぎただけの話である。ただ日本人の投降を受け付ないことにより、彼らをして密林内で飢えさせたに過ぎぬ(彼らの責任において)。単純明快な事態であった。
飢餓のために眼がぎらつこうと疾病《しっぺい》の危険性があろうと、われわれは心を動かされなかった。数マイルにわたる密林がそれを覆い隠し、消し去ってくれたからだ。両手を挙げて投降しょうとする先頭の日本兵を撃ち殺しさえすればよかった(「ジャップの投降は信用できない。手相弾を投げつけるからね。即座に撃ち殺してしまう手しかないよ」)。
あるいはただ打切棒《ぶっきらぼう》に振舞い、白旗を掲げて来た敵の使者を怒鳴りつければよいのだ、歩兵部隊の将校連が洞窟で、「顔を洗って出直して来い、畜生め」と勝ち誇ったように。
かかる一連の出来事が走馬灯のように脳裏をかすめて行く。わが海兵隊が、ミッドウェーの砂浜に寸鉄を帯びないで泳ぎつこうとする日本軍の生存者を撃ち殺した話。ホランディア飛行場で、わが軍が日本軍の捕虜に機銃掃射を浴びせた話。ニューギニアの山越えに南へ飛ぶ輸送機の上から、オーストラリア人が日本軍の捕虜を突き落した話(「オーストラリア軍は捕虜がハラキリを演じたとか抵抗″したからと報告してるんだ」)。
ヌルフォール島で殺されたばかりの日本兵の死体から脛骨を切り出し、ペーパー・ナイフやペン皿を造った話。「そのうちに、あのジャップの野戦病院をたたき潰してやるぞ」と豪語した若いパイロットの話。金歯を求めて日本兵の遺体の口をこじ開けたアメリカ兵の話(「そいつは歩兵お得意の内職でね」)。
「スーべニア用としてこぎれいにするため」日本兵の生首を蟻塚に埋めたという話。ブルドーザーで日本兵の死体を道路の片側に寄せ、浅い、墓標のない穴に放り込んだ話(「それが近くにあったりすると、我慢ができないので埋めてしまうんだ」)。イタリアの町でムソリーニと愛人が逆さ吊りにされた写真を、高い文化的理想を主張する何千というアメリカ人が容認したこと。
歴史を遡《さかのぼ》れば、かかる残虐行為は古今東西を問わず続けられてきたのであった、ドイツのダハウ、ブッケンワルト、キャンプ・ドラといった収容所においてばかりではない、ロシアから太平洋にかけても、またアメリカ本国の暴動や私刑《リンチ》、中南米のさほど喧伝されぬ蜂起や中国の残酷事件においても、さらに数年前のスペイで、往時のユダヤ人虐殺で、ニューイングランドの魔女焼き、イギリスの八つ裂き刑、キリストと神のみ名において行われて来た火刑においても。
私は人骨の灰に埋まる穴を見降ろした(「一年半に二万五千人だ」)。かかる行為はなにも特定の国家や民族に限って行われたのではないことに気が付く。ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋で日本人に行なって来たのである。ドイツ人が人間の灰を穴に埋めることで自らを瀆《けが》したと同じように、われわれもまた、ブルドーザーで遺体を浚い、墓標もない熱帯地の穴に放り込むことにより自らを瀆したのである。
地球の片側で行われた蛮行はその反対側で行われても、蛮行であることには変りがない。「汝ら人を裁くな、裁かれざらん為なり」(新訳聖書・マタイ伝第七章一節)。この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない、あらゆる諸国民に恥辱と荒廃とをもたらしたのだ。
2011年06月22日
松本市長 菅谷昭氏 2011/3/22 定例記者会見 内部被爆に関するコメント
菅谷昭
昭和18年 11月22日、長野県更埴市(現千曲市)で生まれる
昭和43年 信州大学医学部卒業
聖路加国際病院にて研修
昭和46年 信州大学医学部第二外科学教室入局
昭和51年 トロント大学(カナダ)留学(甲状腺疾患の基礎研究)
平成5年 信州大学医学部第二外科助教授昇任
(平成3年より)松本市のNGOグループによるチェルノブイリ原発事故の医療支援活動に参加、汚染地域における小児甲状腺検診をはじめとして現地にて支援活動を継続
平成8年 ベラルーシ共和国に渡り、首都ミンスクの国立甲状腺がんセンターにて小児甲状腺がんの外科治療を中心に、医療支援活動に従事
平成11年 高度汚染州ゴメリに移り、州立がんセンターで医療支援活動
平成13年 ベラルーシ共和国での5年半に及ぶ長期滞在を終え帰国
長野県衛生部医監として就任
平成14年 長野県衛生部長就任
平成16年 長野県衛生部長退職
3月 松本市長就任
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現在64歳
松本市蟻ヶ崎在住(松本市在住は46年)
家族は妻と長男
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•フランシスコ・スカリナー勲章(ベラルーシ共和国国家最高勲章 2000年)
•医療功労者賞(読売新聞社主催 2000年)
•吉川英治文化賞(吉川英治国民文化振興会主催 2001年)
情報源 http://www.sugenoya.com/profile/
2011年06月16日
原発停止求め全国弁護団結成へ
情報源は http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110615-00000691-yom-soci
原発停止求め全国弁護団結成へ、秋にも一斉提訴
読売新聞 6月15日(水)15時11分配信
東京電力福島第一原発事故を受け、国や電力会社に原発の運転停止を求める全国弁護団が7月に結成されることが15日、分かった。弁護団は今秋にも、地元住民を原告とした訴訟を各地の地裁に一斉に起こす。原発の安全性を巡り、全国的な弁護団が結成されるのは初めて。関係者によると、原発関連訴訟を手掛けた経験のある弁護士ら約40人が弁護団に参加する意向を示しているという。
原発を巡っては、これまで周辺住民が国に設置許可の取り消しなどを求める訴訟を起こしてきたが、原告側の勝訴が確定したケースはない。2003年に名古屋高裁金沢支部で旧核燃料サイクル開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」の原子炉設置許可処分を無効とする判決や、06年に金沢地裁で北陸電力志賀原発2号機の運転差し止めを命じる判決が出たが、いずれも最終的には原告側が敗訴している。
原発停止求め全国弁護団結成へ、秋にも一斉提訴
読売新聞 6月15日(水)15時11分配信
東京電力福島第一原発事故を受け、国や電力会社に原発の運転停止を求める全国弁護団が7月に結成されることが15日、分かった。弁護団は今秋にも、地元住民を原告とした訴訟を各地の地裁に一斉に起こす。原発の安全性を巡り、全国的な弁護団が結成されるのは初めて。関係者によると、原発関連訴訟を手掛けた経験のある弁護士ら約40人が弁護団に参加する意向を示しているという。
原発を巡っては、これまで周辺住民が国に設置許可の取り消しなどを求める訴訟を起こしてきたが、原告側の勝訴が確定したケースはない。2003年に名古屋高裁金沢支部で旧核燃料サイクル開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」の原子炉設置許可処分を無効とする判決や、06年に金沢地裁で北陸電力志賀原発2号機の運転差し止めを命じる判決が出たが、いずれも最終的には原告側が敗訴している。
2011年06月10日
福島原発 50 ニューヨークタイムス
情報源は http://gendai.ismedia.jp/articles/-/7514
ニューヨークタイムズ
「原発依存を助長する日本の文化」
<鹿島発>島根原発が40年以上前にこの地に計画されたとき、この田舎の港町は激しく抵抗し、原発を経営する予定であった中国電力は、ほとんどその事業計画を廃棄するところだった。怒った漁民は、何世代にもわたって魚と海藻を漁獲してきた場所を守ると誓った。
20年後、中国電力が三番目の原子炉の設置、拡張を検討したとき、鹿島は再び素早い行動に出た。今度は賛成で結集したのだ。地元の漁協に促され、町議会は賛成15、反対2で、40億ドル(3千200億円)の原子炉を建設するよう公にアピールを出すことにした。
鹿島町のような逆転は日本ではよく起こる話で、これは、現在までの日本の揺るぎない原子力の追求と、54の原子炉がある周辺の町に広範な草の根反対運動が存在しないことの説明に役立つ。3月11日、地震と津波が福島第一原子力発電所で原子力危機を生んだあとにもこれは当てはまる。この地震が起こりやすい国が、いったい原発の安全を十分に担保しているのかという深刻な質問を、この危機は提起したが、今までのところ、この危機的状況は、小さな反応しか生みだしてはいないのだ。
菅直人首相は少なくとも一時的に、日本の原子力利用をこれ以上拡大する計画を見送った。その計画とは国の有力な原子力支配者集団によって推進されてきたものである。鹿島町は原子力に賛成の立場で激しく闘うことをいとわないように見える。安全性に関する懸念にもかかわらず、多くの住民は公にそれを口にはしない。
鹿島町の転換を理解するには、近くの鹿島スポーツ公園をみればすむ。大部分はお年寄りの7千500人の住民のために、ここには野球場、照明付きテニス場、サッカー場があり、3千500万ドル(28億円)の体育館は、屋内プール、オリンピックサイズのバレーボール競技場付きである。体育館は、今も建設中の第3原子炉を引き受けたことで町が受け取る数百億円で支払われるいくつかの巨大公共事業の一つにすぎない。
鹿島町の話が暗示するように、日本政府は、本質的に、地域からの支持や少なくとも黙認を、手厚い交付金や保証金や仕事をばらまくことで買うことができた。経済産業省によると、2009年度だけで東京は11億5千万ドル(9兆2千億円)を発電所を持つ地域の公共事業に投じた。専門家によるとその金の大部分は原子力発電所の近くの町や村に流れる。
そしてそれは氷山の一角にすぎない。大量の交付金、資産税、所得税からの収入、個人補償、原発企業から来ると広く信じられている地元の金庫への”匿名”の寄付すらある、と専門家は言う。
疑問の余地なくそれらの援助は、仕事と人とを急速に都会に奪われてきた地方の町や村を富ませてきた。石油や石炭の充分な蓄積がない日本は、その経済的仕組みを運転するために必要なエネルギー減を原子力に頼る。しかし批判する人は、それら多額の贈与が、同時に地域を中央政府の歳出に依存させ、結果的に地域は、原発に頑丈な危険防止装置を迫ることで波風を立てることをあえてしなくなった、と主張する。
批判者が麻薬中毒になぞらえてきた過程で、楽に儲かる金と、より高賃金の仕事の流れは急速に地域本来の経済基盤である農業や漁業に取って替わる。
原発のような公共事業に代わる選択肢も原発計画者は提供することをしなかった。金を使う蛇口を開けっぱなしにしておくことが、新たに上昇した生活水準を維持する唯一の方法となった。
専門家と一部の住民は、この依存こそが、広島と長崎の遺産とスリーマイルやチェルノブイリの原発事故にもかかわらず、なぜ日本がアメリカやヨーロッパにみられるような水準での原発への大衆的な反対には直面せず、またなぜ今後、新たな原発の建設を止めることなど、米国よりもっとありそうにもないことなのかを説明するのに役立つと言う。町は、政治家、官僚、裁判官、原子力産業経営者といった同一のサークルの網の目に絡めとられ、彼らは休むことなく、安全への関心を凌駕して、原子力の拡大を売り込む。
「この依存の構造が、町や村の人々に施設や原子力に反対する発言をできなくさせているのです」と福島大学で地方財政論を教える清水修二教授は言う。
沈黙の作法
本当に、沈黙の作法は今もなお、5年前に松江市と合併した鹿島町に広く行き渡っているようだ。
安達常吉は、63歳の漁師だが、鹿島原発第二原子炉に反対する、1970年代、80年代の大規模な抗議行動に加わっていた。彼によると、1974年から稼働した施設の第1原子炉から出る塩素が、地元の漁業海域の海藻と魚を殺していたからで、その頃は多くの漁師が憤りを感じていた。
しかし安達によると、第2原子炉の補償金が流れこみ始めると、近所は彼を冷たくみるようになり、ついには無視したという。1990年代の初期、第3原子炉が提案される頃には、安達を含め誰一人、プラントにあえて反対する声をあげる者はいなくなった。福島原発事故のあとでも、島根原発から数マイルの距離に住む彼らの多くには恐怖であったが、やはり仲間からの圧力を感じたという。
「もちろん、われわれ心の中では同じ災難が島根でも起こるのじゃないか、と皆心配しています」と安達氏は言う。しかし、「町は、原発なしにはもう経済的にやっていけないと知っているのです」
公然と口に出す人はほとんどいないが、多くの住民もまた、自分たちの町が、かつては活気があった漁業をどうしてやめてしまったのか、と密かに気遣う。彼らはまた、スポーツ公園のような一時的には華やかなプロジェクトが長続きする経済的な利益をほとんどもたらさなかったとも言う。第3原子炉だけでいっても、町には9千万ドル(72億円)の公共事業費が落ち、もし原子炉が来年から稼働すれば、その後15年間以上にわたって、6億9000万ドル(552億円)の財産税が別枠で流れる約束だ。
1990年代第2原子炉からの財産税は町の税収の4分の3を占めた。その収入がいずれ減少するという事実が、第3原子炉追求にを押しやった一つの要因だった、と当時の町長、青山善太郎氏が言う。
青山氏は、福島原発事故がここ鹿島の住民をゾッとさせたことを認めた。それはそうでも、と彼は言う。島根原発を引き受けたことを住民は後悔していない。そのせいで生活水準も上がったし、日本の多くの地方を空洞化させている人口流出が起こることも食い止めた。
「原発がなければどうなったと思う?」と73歳の青山氏は言う。町は、1960年代後期から始まった第1原子炉からの最初の補償費を屋内水道設備のために使ったのだ、と言う。
原発はその電力の大部分を遠くの都市地区に供給するのに対し、原発自体は、隔絶した貧しい地方に設けられている。
中村一良氏(84歳)は、鹿島町の中の日本海の荒海に面する小さな漁村、片句での子供時代の生活が、どれほどつらいものだったかを思い出す。父親は小型平底船にのってイカやタイを釣り、母親がそれを背に、わらじ履きで細い山道をたどり市場まで運ぶ。
それでもはじめは、漁民は原発に近い漁場の海藻や魚を取る権利を捨てることを、かたくなに拒否した、と中村氏は言う。当時彼は片句漁協の組合長であった。結局、彼らは補償費を受け取り、それは漁師一人あたり60万ドル(4千800万円)に達した。
「最後は金に屈したのさ」と中村氏が言う。
床は土間の小屋が、今ではドライブウエイ(車用私道)付きの特大の家に代わり、トンネルを通過すれば、鹿島町の市街まで車で5分だ。しかし新しい富は、300戸足らずのこの小村を見えない形で変えてしまった。漁を続けているのはおよそ30人の老人たちだけ。残りの大部分は発電所に通い、安全保安員か清掃員として働く。
「金が簡単に手に入って、もう働く必要もなくなったのです」と、反原発の政治綱領で町長選に出て2度敗れた町議会議員が言う。
現金の流れ
現金の流れの大部分は、政府交付金の洗練された制度である電源三法の所産で、これは日本の原発環境を形作り、公共事業を戦後もっとも手強い政治派閥形成に利用した、当時の権力者田中角栄首相が、1974年につくった法律だ。
電源三法は、日本人のすべての電力消費者に、ガス電気水道料金の一部として、原発を立地する町や村に流しこむ税金を支払うことを命じた。原子力産業を規制し交付金を監督する経済産業省の官僚は、これら交付金に地元がどれほど依存するようになったかの詳しい説明を拒否した。
「地元が原発を受け入れるよう促進する金です」と、経済産業省資源エネルギー庁の中野辰実氏は言う。東通(ひがしどうり)原発を有する東北電力の広報担当は、当社は交付金には関係しておらず、福島以降、原発の安全性について住民を安心させることに活動の焦点を合わせている、と言う。
政治専門家は、交付金が原発の受け入れを促すだけでなく、時がたつにつれてその拡大をも促す、と言う。交付金は、設備や原子炉が稼働し始めるとすぐに最大年額を過ぎ、減少していくように設計されている。
「多くの場合、人口減少で税を課せる人口が少ない町は、喉から手が出るほど金がほしくなってきます」と、電源三法を研究したパーデュー大学の政治学者ダニエル・アルドリッチが言う。
原子炉の寿命と共に交付金が減り続けると、自治体は新しい原子炉建設を受け入れる圧力にさらされる。アルドリッチが言う。「地元自治体は最初の原子炉から得た金の使いっぷりに馴染み、そして2番目、3番目、4番目、5番目の原子炉が同じ金の使い方を続けさせるのです」
福島大学の清水教授によると、福島第1原発と近くにある福島第2原発は、直接間接に1万1千人の人々を双葉町を含む自治体で雇用した〔PHOTO〕gettyimages 評論家は福島第1原発の5号機と6号機がある双葉町のケースを指摘する。それぞれ稼働したのは1978年と1979年である
福島大学の清水教授によると、福島第1原発と近くにある福島第2原発は、直接間接に1万1千人の人々を双葉町を含む自治体で雇用した。これは2世帯にからおよそ一人の割合になる。1974年以降、福島県の自治体は、発電所に33億ドル(2640億円)の交付金を受けていて、その大部分が二基の原発施設向けである、と清水教授は言う。
主に1970年代に受け取った、これらの巨大な交付金にもかかわらず、双葉町は最近予算問題に悩み始めた。鹿島同様、原発関連の財産税などの他の収入といっしょに交付金が漸減した。2007年までに双葉町は、日本でももっとも財政的に問題を抱える町の一つとなり、ほとんど破産状態となった。町の職員は、景気のいい交付金で建てられた公共施設の維持コストと気前のいい交付金がいつまでも続くと信じた貧弱な経営を非難した。
1988年から2006年まで福島県知事をつとめ、原子力産業の批判者となった佐藤栄左久氏によると、最初の原子炉が稼働して30年目の今、双葉町は町長の俸給すら支払えないのだ、という。
「原子炉を一基もって一世代か30年たつと、もはや存続できない自治体になることが可能です」と佐藤氏は言う。
双葉町の財政危機の解決法は、日本政府と東電と福島第1の経営者に、新たに原発2基の建設を頼むことであった。その結果、福島第1の原発は合計8基となった。その要請で双葉町は直ちに新たな交付金を得ることになった。
「『麻薬』という表現がいいかどうかはともかく」と、佐藤氏が言う。「一回やったらもう絶対に2回目がほしくなるんです」
鹿島町長選に敗れた中村英治氏は、町が交付金のとぎれない流れに頼るのは、経済的理由からであると同時に政治的理由からでもあると言う。氏によると県と町のリーダーたちは、公共事業の仕事と金を、建設産業や漁協といった主要な投票ブロックからの支持を確保するために使っているのだと言う。それらのブロックに町の三分の一の労働者が含まれている。
「みんなは原子力婦プラントというが、実際には政治力プラントと呼ばれるべきさ」と、中村氏は冗談を言った。
最大の損害を受けるのは
この依存こそが、管首相による日本の原発推進をスローダウンさせるという発言が、本州北部の孤立した地域である下北半島ほどに、なぜ他の場所では憂慮されなかったの理由である。
下北半島の最初の原子炉が稼働したのは2005年で2基が建設中だ。さらにもう2基が計画中である。日本はまた大規模な核廃棄物の再処理工場をそこに建設中でもある。原子力への新規参入者として、下北の受け入れる側の自治体は、今一番失うものが大きい。
東通(ひがしどうり)では、原発1基がすでに稼働し、3基がここ10年のうちに稼働予定である。この4基への交付金と他の収入で、東通村の職員は20年前に完全に新しい村役場の建築を開始した。
急速に減っていく7300人の人口のために、村役場には今や、めったに使われない三角形---角張ったのと丸いのと---の形をした三つの巨大ビルがそびえていて、東京のデザイナーによれば、これは男と女と子供を象徴しているのだそうである。
近くには600人の小中学生のための乱雑に広がったキャンパスがあって、そこには二本のラニング・トラックと二つの大きな体育館、八つのテニスコート、屋内野球場がある。2010年度、村の9千400万ドル(75億2千万円)の予算の46%が、原発関連の交付金と財産税からである。
東通村の原子力対策担当の職員、笹竹重則氏は、福島であらわになった危機に関わらず、日本政府と原発経営者がもう3基、原発を建設する約束をゆるがせにしないことを、東通は希望すると言った。
「リスクがあるからこそ東京に原子炉はつくれない。しかし、こういう田舎だからこそです」と笹竹氏は語った。東通村の職員には、このような壮大な建築計画をすすめることに後悔の念は全くない、ともいう。
しかし、東通のビル建設の馬鹿騒ぎは、半島のもう一つの町、人口6300人の大間の人々の眉をつり上げた。そこにある2014年稼働予定の最初の原発の建設は、福島災害ののち停止させられている。
大間に原発をもってくるに際して決定的な役割を果たした前町長の浅見恒吉氏は、無用のビルという幻想で将来の財政問題を引き起こしたくはない、と言う。今までのところ、大間は原発交付金で新しく町役場の建設することには抵抗し、代わりに教育施設と漁業施設それと老人用の家を建てる予定だ。
「普通の人や町会議員は、ほかのどこの原発自治体を見てもたった1基で原発は終わっているところはない。いつでも2基目3基目がある。だったらもっと使っていいじゃないかと言う。しかし俺は違う、と言うんだ」と浅見氏は言う。
しかし大間にもやはり、福島の大災害が無期限にプラント建設を遅らせるのでは、という心配がある。それはまさに、原子力を拡大するために日本がつくってきた交付金と依存のシステムが、いかに国家が反転コースを取ることを難しくしているのかという最近の事例である。
「我々には絶対必要なんだ」大間商工会の松山義文会長は、原発についてそう言う。「原発以外にここに金を持ってこれるものはない。それは間違いない。原発を引き受ける以外、こんな孤立した町にいったい何ができると言うんだ?」
(マーティン・ファックラー、大西哲光、翻訳:Office Matsumura)
2011年06月08日
2011年06月07日
最高裁判事も天下り
福島原発のその後も、蔓延している放射能の問題も、これから来るであろう地震の問題も、、、、大きな問題がいろいろあるにも関わらず、大変な状況が3ヶ月も続いたので、何だか中だるみのような感じがします。重要な問題も問題でないような錯覚にも襲われます。新たな情報をと思う私も少々疲れ気味です。しかし、逆にこういうときにドカーンときそうで、昨夜はなかなか寝ることができませんでしたが、さて今日は判事の天下り。
「原発は安全」判決下した最高裁判事も、原発企業・東芝に天下り My News Japan 5/27より
四国電力伊方原発と東電福島第二原発の建設許可取り消しを求めた2つの裁判で、原発の安全性にお墨つきを与える判決を下した最高裁判事が、米国GE社と提携する原発メーカー「東芝」の役員に天下っていたことがわかった。判決があったのはチェルノブイリ原発事故から6年後の1992年のことで、脱原発の声を封じて原発ラッシュの流れをつくる一大転機となった。裁判官と原発産業の生臭い関係に、原発の危険を訴えてきた地元住民は絶句する。「司法よ、お前もか――」
詳しくは以下へ http://hanbey8.jugem.jp/
裁判所と原発関係の癒着はこれだけだとは思えませんが、、、
「原発は安全」判決下した最高裁判事も、原発企業・東芝に天下り My News Japan 5/27より
四国電力伊方原発と東電福島第二原発の建設許可取り消しを求めた2つの裁判で、原発の安全性にお墨つきを与える判決を下した最高裁判事が、米国GE社と提携する原発メーカー「東芝」の役員に天下っていたことがわかった。判決があったのはチェルノブイリ原発事故から6年後の1992年のことで、脱原発の声を封じて原発ラッシュの流れをつくる一大転機となった。裁判官と原発産業の生臭い関係に、原発の危険を訴えてきた地元住民は絶句する。「司法よ、お前もか――」
詳しくは以下へ http://hanbey8.jugem.jp/
裁判所と原発関係の癒着はこれだけだとは思えませんが、、、
2011年06月04日
遺伝子組み換え食物日本侵入
先日、農業をしている友人に遺伝子組み換え食物が日本に入ろうとしていることを心配して電話しました。最後には面倒くさそうに「そんなことは農業をしている我々に任せろ」みたいなことを言うので、それ以上言うのは止めましたが、結局農業従事者のほうがその深刻さを理解していないと思いました。
苗木を買おうと思ったJAでは、そのすべての野菜がF1(エフワンーつまり、翌年その野菜の種で作っても野菜はできないか、あるいは不味い)これは完全に食料支配です。
しかし、農家の人はそれが便利だとか言って、まったくその恐ろしさに気づかない。私一人で店の中で憤慨していたのですが、「いや、あなたにじゃない、アメリカにです」と言っても、ポカーン!
今日はその話題です。気になる部分だけ抜き書きしました。ぜひ、サイトに行って読んでください。
情報源はhttp://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-594.html
「日本の畑でもモンサントの自殺種子で栽培させろ」
「自殺するF1種子」と猛毒の農薬のセットで、世界中の食料をコントロールしようとしている多国籍アグリビジネスの巨人、モンサントですが、日本の政府にもモンサント種子の畑(ほ場)での栽培と食用・資料用への使用を許可しろ、と要請があったようです。
モンサント社の要請を受け入れるべきか、農水省が以下について、一般国民からパブリック・コメントを募集しています。ただし、期限は6月21日まで。
http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/nouan/110523.html
簡単に言うと、モンサント社の一代限りの種を使って、日本の農場でも栽培させろ、というモンサント社の要望です。
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モンサント社はベトナム戦争の時に米軍のB52爆撃機からジャングルに撒かれた枯葉剤を開発した化学会社で、この枯葉剤の中にはダイオキシンが含まれていたことから、ベトナムでの悲劇が表面化してきたわけです。グリホサート、別名ラウンドアップという強力な除草剤も、枯葉剤の研究から生まれたものだといわれているのです。
すでに、日本には多くの遺伝子組み換え食品が入ってきていますが、今回の政府への要望は、遺伝子組み換え技術で作った食用農産物とともに、日本の農地でも自殺種子とグリホサートを使わせて栽培させろ、というものなのです。
これを受け入れてしまうと、ゆくゆくは日本の農家は壊滅的な被害を蒙り、次々とモンサントの奴隷となって危険な農産物を作り続けなければならなくなるのです。日本の農地が日本のものでなくなってしまうのです。その点が、今までの遺伝子組み換え食品の規単なる制緩和云々の話と、根本的に違うところです。
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「学識経験者からは、生物多様性への影響がある可能性はないとの意見を得ました」と書かれているのですが、どんな学者なのか、どんな手順で生物多様性に影響しないと判断したのかが分かりやすく書かれていません。農水省、環境省、そして御用学者による「出来レース」の匂いがぷんぶんです。
今回の原発事故で、誰でもはっきり分かったことは、「原発安全神話」を国民の間に浸透させてきたのは国から多額の研究費を割り当てられただけでなく、東電などの電力会社からもさまざまな余禄を受けてきた「悪魔に魂を売り渡した汚れた学者」、いわゆる御用学者たちでした。
それを影で操りながら自分たちには火の粉が降りかからないようにしているのは経済産業省(旧通産省)。こうした構図が、遺伝子組み換え(GM)企業と農水省・環境省、御用学者のトライアングルで形作られつつあるのかもしれません。
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今、種苗会社の世界で恐ろしいことが起きていて、GM(遺伝子組み換え)開発会社が世界各地の種苗会社を傘下に入れつつあります。
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ではなぜ、モンサント社が常に槍玉に挙げられるのかというと、本来、自然の神が人類に平等に与えているはずの自家採種の権利を暴力的な手段で取り上げて、世界中の食料を牛耳った挙句、私たちの遺伝子まで危機に晒そうとしているからです。
この背景には原発の闇と同様、とてつもなく恐ろしいものが横たわっており、ほとんどの人たちは、それに気がついていません。官僚でさえ気がついていない人が多いでしょう。
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私たちはこの件について堂々と意見を述べるべきであると思います。
パブリック・コメントの締め切りは6月21日です。
封書で送る場合は、21日必着、インターネット、FAXなどは当日までに送信すればいい、ということになります。
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食品として売っていた大豆を撒いたら、芽が出てきました。遺伝子組み換えではないと思いますが、、、
苗木を買おうと思ったJAでは、そのすべての野菜がF1(エフワンーつまり、翌年その野菜の種で作っても野菜はできないか、あるいは不味い)これは完全に食料支配です。
しかし、農家の人はそれが便利だとか言って、まったくその恐ろしさに気づかない。私一人で店の中で憤慨していたのですが、「いや、あなたにじゃない、アメリカにです」と言っても、ポカーン!
今日はその話題です。気になる部分だけ抜き書きしました。ぜひ、サイトに行って読んでください。
情報源はhttp://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-594.html
「日本の畑でもモンサントの自殺種子で栽培させろ」
「自殺するF1種子」と猛毒の農薬のセットで、世界中の食料をコントロールしようとしている多国籍アグリビジネスの巨人、モンサントですが、日本の政府にもモンサント種子の畑(ほ場)での栽培と食用・資料用への使用を許可しろ、と要請があったようです。
モンサント社の要請を受け入れるべきか、農水省が以下について、一般国民からパブリック・コメントを募集しています。ただし、期限は6月21日まで。
http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/nouan/110523.html
簡単に言うと、モンサント社の一代限りの種を使って、日本の農場でも栽培させろ、というモンサント社の要望です。
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モンサント社はベトナム戦争の時に米軍のB52爆撃機からジャングルに撒かれた枯葉剤を開発した化学会社で、この枯葉剤の中にはダイオキシンが含まれていたことから、ベトナムでの悲劇が表面化してきたわけです。グリホサート、別名ラウンドアップという強力な除草剤も、枯葉剤の研究から生まれたものだといわれているのです。
すでに、日本には多くの遺伝子組み換え食品が入ってきていますが、今回の政府への要望は、遺伝子組み換え技術で作った食用農産物とともに、日本の農地でも自殺種子とグリホサートを使わせて栽培させろ、というものなのです。
これを受け入れてしまうと、ゆくゆくは日本の農家は壊滅的な被害を蒙り、次々とモンサントの奴隷となって危険な農産物を作り続けなければならなくなるのです。日本の農地が日本のものでなくなってしまうのです。その点が、今までの遺伝子組み換え食品の規単なる制緩和云々の話と、根本的に違うところです。
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「学識経験者からは、生物多様性への影響がある可能性はないとの意見を得ました」と書かれているのですが、どんな学者なのか、どんな手順で生物多様性に影響しないと判断したのかが分かりやすく書かれていません。農水省、環境省、そして御用学者による「出来レース」の匂いがぷんぶんです。
今回の原発事故で、誰でもはっきり分かったことは、「原発安全神話」を国民の間に浸透させてきたのは国から多額の研究費を割り当てられただけでなく、東電などの電力会社からもさまざまな余禄を受けてきた「悪魔に魂を売り渡した汚れた学者」、いわゆる御用学者たちでした。
それを影で操りながら自分たちには火の粉が降りかからないようにしているのは経済産業省(旧通産省)。こうした構図が、遺伝子組み換え(GM)企業と農水省・環境省、御用学者のトライアングルで形作られつつあるのかもしれません。
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今、種苗会社の世界で恐ろしいことが起きていて、GM(遺伝子組み換え)開発会社が世界各地の種苗会社を傘下に入れつつあります。
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ではなぜ、モンサント社が常に槍玉に挙げられるのかというと、本来、自然の神が人類に平等に与えているはずの自家採種の権利を暴力的な手段で取り上げて、世界中の食料を牛耳った挙句、私たちの遺伝子まで危機に晒そうとしているからです。
この背景には原発の闇と同様、とてつもなく恐ろしいものが横たわっており、ほとんどの人たちは、それに気がついていません。官僚でさえ気がついていない人が多いでしょう。
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私たちはこの件について堂々と意見を述べるべきであると思います。
パブリック・コメントの締め切りは6月21日です。
封書で送る場合は、21日必着、インターネット、FAXなどは当日までに送信すればいい、ということになります。
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食品として売っていた大豆を撒いたら、芽が出てきました。遺伝子組み換えではないと思いますが、、、

